揺れる本田

本田放出はミランにとって13億円に!?誰も抗えない移籍市場の「力学」とは。
(Number Web 12月28日(月)17時1分)


4年前の冬、本田圭佑にはラツィオへ移籍するチャンスがあった。
2年が過ぎた後、彼は新天地ミランへの移籍を果たしたが、仮に'12年1月の時点でセリエAへ来ていたなら、当時25歳だった彼のキャリアは、今頃どうなっていただろう。
2015年のラストゲームを、本田は白星で終えた。
アウェーの17節フロジノーネ戦で、3カ月ぶりのリーグ戦先発フル出場を果たし、アシストも決めた。
4-2で今季初の逆転勝ちを収めたミランは、カンピオナートで6位につけた。本田は3日前のコッパ・イタリアでも1アシストを決めており、準々決勝進出に貢献している。
ただし、ミハイロビッチ監督がフロジノーネ戦の後に残した「本田を移籍市場で放出しようとしたことはない」というコメントには、引っかかるものがあった。
久しぶりに先発のチャンスを与えた本田について、指揮官は「いいプレーをすることだけを考えるべき」と付け加え、「もしチャンスをふいにすれば、次の機会を待たなければならない。今日のようなプレーを続けていれば、面倒な問題はないのだ」とわざわざ勿体ぶった調子で続けた。ユーゴ紛争を生き延びた指揮官は、彼独特の言い回しに“プレー以外の余計なことは考えるな”という戒めの色を加えたようだった。


■ガッリアーニは放出を否定したが……。
本田のチーム内の立場は、今も決して安泰とはいえない。
10月初旬のナポリ戦後に起きた、いわゆるクラブ批判騒動の後、チームの戦術ベースが4-3-3から4-4-2へ移行したこともあり、本田の出場時間は激減した。
いずれも後半からの途中出場となったナポリ戦後の7試合の合計プレー時間は、ロスタイム分を含めても80分に満たない。
すでにベンチで過ごす時間が多くなっていた11月上旬、本田がガッリアーニ副会長と直接面談し、そこで今冬の移籍を訴えたという報道があった。
副会長は「1月には誰も放出しない」と一蹴したが、その言葉の効力が、日付が変わった瞬間に消え去る類のものであることは、あらゆるクラブのフロントや代理人なら無論承知している。
フロジノーネ戦の勝ち星で一息ついた副会長は、「“ホンダ問題”など存在しない」と今冬放出説をあらためて払拭しようとしたが、来年1月4日に開く移籍メルカートで、本田が移籍する可能性は本当にないのだろうか。


■本田の放出で、ミランは13億円が浮く!?
もし、貴方がミラン副会長ガッリアーニなら、現在のタイミングで本田を放出する金銭的メリットは、つねに頭の隅にあるはずだ。
2年前の冬、“東洋のベッカム”として華々しくミラノへやってきた本田の手取り年俸は、チーム内でも高給にあたる250万ユーロとされている。
契約満了にあたる'16-'17年シーズン終了時までに、ミランは税金も含めて総額536万ユーロ相当を本田側に支払わなければならない。
この冬、仮に背番号10へ完全移籍のオファーが届いてそれが成立すれば、クラブの支出からその7億円分がまるまる浮く。
また、オファー額が500万ユーロもあれば、本田放出が、差し引き1000万ユーロ=13億円超の商いになることを意味する。
慢性的な赤字に苦しむミランにとって、1000万ユーロは決して小さくない数字だ。その上、本田はもともと移籍金なしで入団させた選手だから、獲得の元手がかかっていない。
そして、現在のミランFW陣は大所帯だ。
コロンビア代表FWバッカと進境著しい若手FWニアンが2トップを占め、3番手に今季新加入のFWルイス・アドリアーノが控える。2列目の左にはMFボナベントゥーラが、また右にはFWチェルチがそれぞれ重用されてきた。
年明けには、長期故障から復帰する悪童FWバロテッリと昨季のエースFWメネズが合流してくる。そうなれば、ロッカールーム内の序列や起用法はまた一変するだろう。
今季が終了すれば、本田は30歳になる。
20代最後の半年を、出場機会を楽観視できないまま過ごすのは、彼にとっても本望ではないはずだ。


■12年前に中田英寿がした“都落ち”の決断。
12年前の冬、27歳になろうとしていたMF中田英寿パルマを離れ、ボローニャへレンタル移籍する決断をした。
前年シーズンに背番号10をもって迎え入れられた中田だったが、当時まだ強豪の一角だったパルマでの2年目に、プランデッリ監督の下でプレー機会を失っていた。
ボローニャへの移籍は“都落ち”ではあったが、老練な指揮官マッツォーネペルージャ時代の教え子である“ヒデ”を残留争いの貴重な戦力として重用した。中田は期待に応え、コンディションを甦らせると17試合に出場し、2ゴールを奪いながらチームを12位に導いた。その後半戦の活躍をもって、続く夏に中田はフィオレンティーナ移籍を手繰り寄せた。


■「本当に本田が欲しかった。だが……」
ところでボローニャで中田とチームメイトだったFWターレは、'08年に引退した後、ラツィオのフロント職に就いた。4年前の冬、SD(スポーツ・ディレクター)として、CSKAから本気で本田を獲得しようとしたことがある。
交渉が破談になり、しばらく月日が経った後、彼のオフィスでインタビューをする機会があった。
W杯得点王クローゼを移籍金ゼロで獲ったのに、本田獲得には1300万ユーロを用意したこと。
本田と直接会って、本人の口から「イタリアへ来たい」と言われたこと。
交渉相手であるロシア人の思考法を理解するのに苦しんだこと。
ターレSDの話はどれもこれも興味が尽きないものばかりだったが、「あのタイミングだったから欲しかった」という一言が今でも忘れられない。乾いた声で彼はこう続けた。
「本当に本田が欲しかった。だが移籍市場には、絶対に逃してはならないタイミングと抗えない力学がある」


ミランの金庫が必要としているものは?
今、本田はミランの10番を背負っている。
当時とは、彼の持つ条件も環境も大きく変わった。本田の去就が語られる場は、サンシーロのプレスルームだ。
「高額年俸がネックとなって、本田のイタリア国内移籍は難しいかもしれない」とある番記者が囁けば、別の一人は「来夏とされる現実的な移籍先は、MLSかトルコ、ギリシャリーグあたりじゃないか」とつぶやく。移籍先候補としてさんざん騒がれるプレミアリーグについては、「あそこは誰もかれもが時速100キロで突っ走ってるところだからな」と、適応を訝しがる声も聞いた。
この冬、本田を売るのか、それとも残すのか。ミランの金庫が必要としているのは当期売上なのか、中長期的な利益か。あらゆる要素を加味した上で、メルカートの判断は下される。
真意の見えないえびす顔を浮かべながら、ガッリアーニが腹の底で算盤を弾き続ける1月がもうじき始まる。

これも、絵空事のストーリーに過ぎないかもしれませんけど。