博打

CSで豹変した阪神・和田采配
ある球団幹部が言った。
「この采配をなぜシーズン中にしなかったんやろう?」
 内輪の人間を驚愕させるほど、ファイナルステージでの和田監督の采配は豹変していた。良い言い方をすれば、リスクマネジメント野球。悪い言い方をすれば決断のできない優柔不断野球。それがファンを甲子園から離れさせることになる和田野球だったのが、選手に「チャレンジャー精神で暴れてこい!」と送りだした東京ドームでの和田野球は、牙を剥き出しにした野性的な攻める野球だった。
その象徴的シーンが、10月15日の巨人との第1戦、初回のベンチワークにあった。
クライマックスシリーズに入って「1番・サード」で復帰した西岡がレフト前ヒットで出塁すると、続く上本に出されたサインは、お決まりの送りバントでなく、バスターエンドランだった。結果、ファーストゴロとなって、送りバントと同じ結果となったが、これまでの和田采配とは、まるで違う攻めの姿勢だった。鳥谷敬のタイムリーを呼びこみ、先手がキーワードとなる短期決戦で先取点をとった。さらに続くゴメスが内海の甘い変化球を見逃さずに2ランホームラン。打球の飛ぶ東京ドームでは“飛び道具”が勝敗を左右するが、その地の利をアウェーである阪神が逆に利用したのである。
関川打撃コーチは、スコアラーのデータに独自データをミックスさせながら、傾向をあぶりだし、チームのバッティング戦略を練りだす。この試合を前に出した指示は「低目だけには気をつけてファーストストライクを積極的に行こう!」というものだった。
ファーストステージでは広島に20イニングで1点しか奪えなかった。それも福留のソロアーチ1本。和田監督は「点は取れなかったが、打線の調子は悪くなかった」という。
積極策はひとつ間違えば凡打の山となって相手投手を助けることになるが、マエケン、大瀬良という好投手を相手に目が慣れていた打線は、そのベンチの積極策に背中を押されるようにして結果を出した。打ち損じをせず内海を追い詰めた。
プロ野球選手、特にベテランになると、ベンチの戦術、戦略が読める。疑問符を抱くような采配は、彼らのモチベーションを下げるが、初戦でやったバスターエンドランのような仕掛けをベンチがやると「ちょっと違うじゃないか」とポジティブなメンタルに変わる。それがベンチのまとまりや一体感と呼ばれるものだ。
第2戦では、3点のリードで迎えた8回二死一、二塁で西岡の一塁線を襲う強烈なライナーはファウルと判断された。すると和田監督は凄い勢いでベンチを飛び出し、一塁の塁審に詰め寄った。「ジャンプして捕りに行ったロペスのファーストミットに打球が触れたのではないか」という抗議。指揮官が、こういう感情をグラウンドに持ち込むのは珍しかった。 
シーズン中に何人かの関係者に「なぜ和田監督は抗議にいかないのか、選手やコーチの顔が潰れる」という話を聞いたことがある。サヨナラゲーム後に、中畑監督が猛抗議した試合があったが「試合が終わっているのに抗議を続ける、あの中畑監督の熱意を見習えないものか」と吐き捨てた関係者もいた。
理論派で、冷静沈着な和田監督のスタイルは、負けが込むと、ときには、そういう見方をされる。確かにプロ野球の抗議にはパフォーマンスの要素が大きいが、そこにはベンチを鼓舞するという役割もある。だが、和田監督はファイナルステージで闘志を剥き出しにした。和田監督は「ツヨシ(西岡)が帰ってきてチームのムードがガラっと変わった」と言ったが、チームのムードを変えたのは、その指揮官の積極タクトだった。
阪神DCで評論家の掛布雅之氏も勝因にベンチの積極采配をピックアップした。
「仕掛けが攻撃的だったね。それは守りの面にも出ていて、メッセンジャーにしても能見にしても、ためらうことなく早めの継投で動いた。オ・スンファンには、イニング跨ぎを指令して6連投もさせた。レギュラーシーズンでは、勝負どころで迷いの見えていた和田監督の采配が、冴えて攻めに転じていた。インタビューで『チャレンジャー精神』を強調していたが、ある意味ベンチも開き直りの心理状態でCSに入れたんじゃないか」


勝負を見極める戦術眼も光った。
第1戦では、七回に藤浪が阿部にソロアーチを浴び、なおも無死満塁のピンチを背負うが、ベンチは微動させずに任せた。結果、代打・セペダを併殺に仕留め、代打・井端をも151キロのストレートでねじ伏せた。だが、メッセンジャーが先発した第3戦では、同点に追いつき阿部から始まる6回の守りで左キラーの高宮に迷わずスイッチ。安藤、若手の松田とつなぎ、8回にその松田が、二死一、二塁のピンチを背負うと、オ・スンファンを前倒しでイニング跨ぎのマウンドへ送り込んだ。結果、セペダはレフトフライ。
ファイナルステージの優勝を決めた18日のゲームでも4点差があったが、先発の能見の球数が94球になったのを認めると、スパっと5回で継投策に出た。
シーズン中は何かあれば「大丈夫か?」と疑心を抱き、石橋を叩きすぎて継投判断に失敗するケースが多々あった。その優柔不断な態度にコーチングスタッフが右往左往することも少なくなかったが、CSに入ってからは投手交代についての決断力も冴えた。
“下克上”を果たしての9年ぶりの日本シリーズ進出を“奇跡”や“運”だと表現する声もある。だが、その奇跡への細い糸をたどっていくとそこには理由がある。


何が和田監督の采配を変えたのか?
私はCSを前にして、甲子園のベンチ裏のロッカーで仰々しく行われた坂井オーナーから和田監督への続投要請に大きな意味があったと思う。広島は野村監督が辞意を表明して敗れた。阪神も2008年に13ゲーム差を巨人に逆転されV逸した岡田監督が辞意を表明してCSでは中日に敗れた。やはり去り行く指揮官というものは求心力を失う。選手の深層心理から「この監督は来年いない人だから」の思いは消えない。
だが、阪神は逆に「来年もこの人ですよ」と内外に公表した。燻っていた監督人事の靄が晴れたことで、選手の深層心理とともに、何より監督自身の気持ちの持ちように影響を与えたのではないだろうか。次期監督として名前が挙がっていた人物と和田監督との最大の違いは決断力の差である。シーズン中、遠征先では、まったく外出はせず、負けがこむと関係者の食事ルームにも降りてこず部屋にこもってルームサービスを注文することも少なくなかったと聞く。ビジネスマンとして通用するほど、社会性が高く、勉強家で理知的な指揮官は、阪神監督としての行動や言動に必要以上に気を使う。だが、監督には、ときには狂気や常識外の思想も必要である。それが勝負師や決断力という部分につながるのかもしれないが、頭の回る和田監督のことだから、続投要請を機に自分に何が足りないかを考え、吹っ切れたのではないか。それこそが和田監督が場内インタビューで明らかにした「チャレンジャー精神で暴れる」という開き直りのメンタルだったのだと思う。
続投要請にいたる過程はスムーズとはいえなかったが、和田采配を変えた裏には、タイミングよく坂井オーナーを出馬させた球団フロントの隠れたファインプレーがあったのかもしれない。
1985年以来の“日本一”へ。その命運は、変貌した和田采配が握っている。
(THE PAGE 10月19日(日)20時44分)

相手のジャイアンツも続投を明言されていた。
負けた側は、博打が打てるほど選手がみなぎっていなかったのだろう。
すべてが複雑に絡み合った4連勝だったように思う。