イチローが残した足跡

甲子園に溢れる「右左」の選手たち。イチローが10年前に作った“流れ”。
今年の甲子園、3回戦の試合を観戦したが、去年の猛暑の大会よりはいくぶん、しのぎやすかった。ライトからレフトへ吹く浜風が心地よかった。
そして、49校の代表チームを見ていて気づくのは、左打者の多さであった。
あくまで私の印象だが、昭和の時代、左打者が3人もいる打線を見ると「かなり多いな」と感じていた。2番、4番など右打者と交互に左打者を並べる「ジグザグ打線」ともなれば、特殊な打線に感じられた。
ところが時代は移り変わり、甲子園では「右投げ左打ち」が珍しくなくなった。
準々決勝に駒を進めた8チームのうち、どれだけ右投げ左打ちの打者がどれだけいるのか調べてみた。1つめの数字が右投げ左打ち、2つめの数字が左投げ左打ちの選手である(数字は3回戦でのもの)。


八戸学院光星 4人+0人
沖縄尚学  2人+0人
三重  2人+1人
敦賀気比  4人+1人
日本文理  1人+2人
大阪桐蔭  4人+1人
聖光学院  3人+1人
健大高崎  3人+1人


3回戦を見たなかでも、印象に残った香月一也(大阪桐蔭)、脇本直人(健大高崎)は右投げ左打ち。身体能力、送球能力など素質の高い選手はみんな右投げ左打ちではないかと思うほどだった。
イチローの全盛期に小学校2年生だった球児たち。
なぜ、ここまで右投げ左打ちが増えているのだろうか? 長崎県の指導者の話が参考になる。
「明らかにイチローの影響です。いまの高校生が小学生で野球を始めたころ、ちょうどイチローマリナーズで大活躍していたんです。左打者は1塁ベースに近い、そうしたプラス面が注目されたし、能力の高い子ほど、左打ちに転向しても器用にこなしたんでしょう」
今年の高校3年生は、1996年か1997年生まれ。イチローがシーズン262安打のメジャー記録を達成したのは2004年のことだから(アメリカの野球データサイトによれば、この年がキャリアの絶頂だったという)、小学校2年生の時の出来事である。
たしかにこの時期から左打ちに転向すれば、すんなり馴染むことが出来たのだろう。
つまり今年の甲子園は、10年前の出来事が時を経て現実に影響を及ぼしていることを示しているのだ。
■見直される「右右」のパワーヒッターの価値。
ただし、このトレンドによって失ったものもあるのではないか、と関係者はいう。
「右投げ右打ちの純粋なパワーヒッターが少なくなってしまいました」
仮説ではあるが、能力の高い選手が「右右」から「右左」に転向した場合、ヒットの数は増えるかもしれないが、その分、パワーが犠牲になり、本塁打が少なくなっている可能性があるのだ。
もう一度、純粋な「右右」の価値を見直すタイミングかもしれない。学校によっては「右右」のパワーヒッターのニーズが高まっているのである。
それに、スイッチヒッターという選択肢もある。日本ではスイッチヒッターでなおかつパワーヒッターという選手がいないので、なかなかチャレンジする選手、指導者がいない(このあたりがメジャーとの違い)。
2014年、メジャーリーグで活躍する日本人野手は、イチロー青木宣親川崎宗則と3人とも「右左」だ。
運動能力の高い選手が、左打ちに早い段階から転向する例はこれからも一定の数に達するだろう。しかし、ナチュラルな強みをもう一度、吟味するのも悪くはないと思う。
「右左」の選手たちの躍動は美しいが、ひとつのトレンドを形成しているとなると、なにか一石を投じたくなってしまった。
(Number Web 8月25日(月)16時31分)

一人忘れてやしないか。
メジャーで30発打った男・松井秀喜氏も右投げ左打ちということを。