記録は塗り替えられてなんぼ

燕・バレ56&57号!王さん超えたプロ野球
セ・リーグ、ヤクルト9−0阪神、20回戦、阪神14勝6敗、15日、神宮)歴史が動いた!! ヤクルトのウラディミール・バレンティン外野手(29)が15日、阪神20回戦(神宮)でシーズン最多本塁打プロ野球記録を更新した。一回に榎田大樹投手(27)から左中間席に56号2ランを放つと、三回にも左翼ポール際へ57号ソロ。1964年に王貞治(巨人)が55本塁打してから49年。タフィ・ローズ近鉄)、アレックス・カブレラ(西武)が破れなかった「55本の壁」を49年ぶりについに打ち砕いた。
午後6時16分、49年ぶりに歴史の扉が開いた。一回一死二塁。3万319観衆を証人に、飛球が左中間スタンドに飛び込んだ。バレンティンが両手を突き上げ、ほえた。
「チョーキモチイイ! 今までの人生で最高の感触だった。サダハル・オーは偉大な日本記録、世界記録を作った強打者。尊敬しているし、抜くことができてうれしく思っている」
マウンド上は榎田。カウント2−1から、外寄り137キロの直球を振り抜いた。ベースを周りながら探したのは、バックネット裏で観戦した母・アストリッドさん(64)。「何をやるにも1番を目指しなさい」。幼少期から教えてくれた母がネット際まで降りてきた姿を見つけると、両目が潤んだ。
日本を「第2の故郷」と決めた。7月の球宴期間中にはオランダ領キュラソー島の先輩、同島出身の楽天・ジョーンズを誘い、鎌倉・由比ケ浜海岸を訪れた。憧れの先輩に、日本の海を見せたかった。
「日本でキャリアを終えたいと思っているんだ。引退したら、釣りに行ったりして、のんびり過ごしたい。その後は…指導者に興味がわくかもしれないね」
夢見るようになった、日本での指導者の道。そう考えるようになったのは、2011年10月17日に長女のミアちゃん(1)が生まれたから。毎日、米フロリダ州マイアミに住む家族にテレビ電話し、活力にしている。
「子どもは親の背中を見て育つ。モデルにならないといけないと、強く思うようになったんだ」
11日の広島戦(神宮)でタイ記録の55号を放ってから3試合連続の足踏み。周囲の狂騒にいらだつこともあったが、電話口から聞こえる「パパ」の声に励まされた。
重圧から解放された三回一死の次打席は「新しいシーズンを迎えた気分だった」と、左翼ポール際に57号ソロ。01年にローズ、02年にカブレラが56号に挑んだ際には、四球攻めにあった。今回50号を超えても、各球団が勝負を挑んだのは、新たな時代の証しだった。
「過去の選手が勝負を避けられたのは聞いていた。新しい世代に入り、時代が前に進んでいく時期に、自分が記録を破れてうれしい。僕は記録は破られるためにあると思っている。塗り替える選手が出てくれば、もっと球界も盛り上がる」
ヤクルトファン、阪神ファンの隔てなく降り注がれた歓声に酔った。バレンティンの歩む道が、新たな歴史となる。
サンケイスポーツ 9月16日(月)7時0分)

バレンティン選手には、メジャー記録の61本を越える「62本」を目指してもらいたいなぁ、と思うところです。
でも、昨日2発ですか。
すごいねぇ。。
おめでとございます。