世界一coolなパンダ

「僕は客寄せパンダで十分」 三浦知良が現役を続けられる最大の理由〈dot.〉
(dot. 3月27日(日)16時8分)


2016年、日本サッカー界を代表する孤高のレジェンド、三浦知良が、プロ契約30年という節目を迎えた。ブラジル時代、Jリーグ発足時から日本代表での栄光と挫折、欧州リーグへの挑戦、逆境からの再起、そしてこれから──。『アエラスタイルマガジン 30号』(朝日新聞出版)であますところなく語ったカズのサッカー人生。その一部を紹介する。

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カズがブラジルのサントスFCでプロデビューしたのは1986年2月のことだ。このとき19歳。日本人プレーヤーは、屈辱を味わい、時に嘲笑されながらも成長し、やがて誰もが知るトッププレーヤーへと駆け上っていく。
1990年に帰国したカズは、1993年のJリーグのスタートとともに、日本サッカーの顔として走りだす。「ドーハの悲劇」を味わったあと、アジア人として初めてイタリア・セリエAの門をたたいたカズは、その後も日本代表のエースとして君臨しつづける。
しかし、1998年6月、ワールドカップフランス大会の直前、カズは、日本代表をはずされてしまう。日本中に衝撃が走り、誰もが失望した。ましてや、「日本をワールドカップに連れて行く」と言ってブラジルから帰国し、その後も旗を振りつづけてきた本人の失意はいかばかりだったか。カズは悔しさをのみ込み、次のステージへと向かっていく。カズが選んだ新天地は、クロアチアリーグだった。


「一回日本とは違うところでゼロからやりたかったんです。外へ出たかった。あそこで、ほかの国じゃなくてクロアチアという選択をしたことが大きかった。クロアチアで生活した8カ月はいま僕がサッカーを続けていることにつながる大きな分岐点だったと思う。ディナモ・ザグレブでゴラン・ユーリッチという選手と会って、サッカーを楽しむと同時に人生を楽しむことを学んだんです。彼がオフの時間の使い方、ファッションや食、生きる姿勢、そんなものを見せてくれて、サッカー選手として大人にしてくれたんです」


帰国したカズは、1999年、トルシエ監督のもとで日本代表に再び招集され、2000年の国際Aマッチでは2得点を挙げた。クロアチアがカズを再びよみがえらせたのである。
カズは、その後、J1のヴィッセル神戸に所属していた2005年7月、現在も所属するJ2の横浜FCへと電撃移籍する。
いまでこそJ1からJ2への選手の移籍は珍しくないが、カズがJ2へ移ってまでもサッカーを続けようとしたことは、当時驚きをもって受け止められた。このときカズは、すでに38歳になっていたから、当然引退、という選択肢があってもおかしくなかった。
しかし、実は、この移籍の前年、カズは、大きく生活を変えていた。栄養士の指導のもと、毎日の食事を根本から見直したのだ。
栄養士から、「基本的に高たんぱく低脂肪を」と指導されたカズは、油を徹底的に避け、肉もサーロインや霜降りのステーキから脂の少ないフィレに切り替えた。ドレッシングもやめて、オリーブオイルと塩にした。揚げ物などもってのほかだった。その日に摂る食事の写真を撮って、栄養士に送って、可否を尋ねたりすることもあった。鉄分が足りないとわかると、1週間にわたって毎夕レバーだけをレストランに食べに行った。とにかくストイックなまでに食事に気を遣いはじめたのである。
それは言うまでもなく、「引退」という言葉を遠ざけるためのよすがだった。
いまでこそ、カズの食の「自由度」は増しているものの、バランスを考えた食事を意識しつづける姿勢は変わらない。
先のグアム合宿ではこんな場面も見た。練習後、自室のソファーに座ったカズが一冊のノートをじっと眺めていたのだ。何かなと思ってのぞくと、そこには毎日の体重、走行距離、トレーニングメニューなどが自身の手書きでびっしりとメモされていた。もう何年も前から続けているのだという。
プロ選手としてピッチに立つための努力と投資をカズは惜しまない。いまなお、若者たちと同じトレーニングをし、試合をこなしていく身体を維持できているのは、こうした不断の努力があればこそなのだ。
と同時に、身体を支えるメンタリティー、とりわけポジティブな考え方がまるで失われていないことも現役でいられる大きな理由だ。


「サッカーへの思いとか情熱、やる気は昔から何も変わってない。逆に10年前より増しているかもしれない。12月、1月のキャンプだって、本当に1分1秒を大事に、妥協しないでやっているし。確かに前よりもやるべき細かい作業が多くなったし、マッサージ、筋トレ、ストレッチを含めて、時間はどうしても長くなってきているのは事実です。でも、一日はあっという間で、楽しい。幸せだよね、これだけサッカーがやれて。
自分ひとりではここまでこられなかったからね。グアムに行く仲間や、チームメート、サポーター、メディアのおかげで自分のモチベーションは維持できている。大好きなサッカーで、ずっとお金をもらってきているわけだから、本当に感謝しています。サッカーがなきゃ僕には何もないからね」


カズは、一プレーヤーとして、いつもこんなふうに思っている。


「サッカー選手でいちばん大事なのは、サッカーの試合に出て活躍したいという、この気持ちです。僕はベテランとか最年長とか言われても、活躍するためにサッカーをやっているんで、別に若い選手に僕の背中を見せるためにやっているわけではないんです。たとえ高校を出たばかりの人が入ってきても、後輩とは思わない。もちろん上から目線もないし、単なるサッカーの仲間であり、ライバルとしか思っていない。30歳下だからって別に僕から強制するものなんてひとつもないんです。
とにかく今日が大事で、昨日は過ぎたこと。キャリアなんて関係ない。僕自身は自分が経験してきたことが大切なだけで。今日、いま、自分の力を見せるのが大切なことで、昨日は関係ないんです」


しかし一方で、カズには、プレーヤーとしてだけでなく、日本サッカー界の顔としての役割が期待されているのも事実だ。それはときに、「政治的な動き」をともなって、カズを取り囲んでくる。
たとえば、カズは、2012年、日本サッカー協会の要請でフットサルの日本代表に呼ばれ出場している。ブラジル時代に多少経験があるとはいえ、フィールドサッカーとは勝手の違うこの競技に参加せざるを得なかったのは、やはり「政治的」と言えなくもない。しかし、カズは参加を決断した。そして、実際、依頼者の思惑どおり、日本のフットサルは脚光を浴び、広く人々の知るところとなったのだ。
「客寄せパンダ的な利用のされ方をするのは嫌じゃないですか」とあえて意地悪く質問してみた。すると、カズはこう一笑に付した。


「J2でも、横浜FCでもよくそう言われるし、書かれているじゃないですか。でも、パンダじゃなきゃ人は来ないですから。その役割は自負していますよ。僕は客寄せパンダで十分ですよ。だって普通の熊じゃ客は来ないんだもの。パンダだから見に来るんだもの。熊はパンダになれないんだから」


30年にわたってプロの世界でトップに立ちつづけてきた男の矜持(きょうじ)である。

なんてプロ意識だ。