ジャイアンツの「桜井さん」

あいさつ代わりには衝撃が強すぎる。巨人1位・桜井俊貴の18奪三振ショー。
(Number Web 11月30日(月)17時1分)

「こんなタイプのピッチャーだったの?」 
取材に訪れた巨人担当記者の数人が目を丸くしていた。
明治神宮野球大会でのことだ。
このほど巨人への入団が決まったドラフト1位右腕・桜井俊貴(立命大)が1回戦の東北福祉大戦に先発。大会タイ記録となる18奪三振を挙げて、完封勝利を挙げたのである。

先発完投型だとは知っていたが、大会記録をマークしてしまうほどの奪三振マシンだったとは――。

巨人担当の記者たちが目を丸くし、プロもアマも取材する筆者たちのような人物に尋ねてくるのも無理はなかった。
バランスよく投げるピッチャーという噂を、二段階くらい飛び越えた。この日の桜井のピッチングは、来年のローテーション入りを期待させるに十分なものだった。
「三振は狙ったというより、低めを突いて行った結果が、そうなったのだと思います。自分はそういうタイプじゃないんで」
18もの三振を取ったという実感もなかったと、桜井は試合後に振り返った。低めへの強い意識が大記録達成へとつながったのだろう。
■高校時代には育成ギリギリの選手だった。
北須磨高時代から公立の星として、プロのスカウトの間でも評判の投手だった。腕を思い切り振れるフォームで、ストレートの最速こそ140kmに届かなかったが、カーブとのコンビネーションで打ち取っていく。育成での指名を匂わせる球団もあったが、しかし桜井は「4年間でレベルを上げて勝負をしたい」とプロ志望届は出さず、立命大に進んだ。
立命大進学後は順調な成長曲線を描いた。
特別なことをしたわけではない。それは子供が大人に成長していていくように、段階を踏んで自己を確立していった。大学入学時は130km後半だったストレートは145kmまで伸び、変化球も高校時代に投げていたカーブに加えて、スライダー、チェンジアップと年を追うごとに増えた。
■大学3年で突き当たった145kmの壁。
「公立から私立大に来て、最初はしんどかったです。練習内容の濃さが違ったし、公式戦でのデータを取ることなど、手伝いの面も含めてハードすぎました。環境の違いになれるのが一番大変でした。でも試合に出始めてから、余裕を持てるようになってきました。大学はグラウンドが広いでしすし、雨が降っても室内練習場がある。環境を有効に使うことができたので、成長につながったと思います」
大学1年秋のリーグ戦からベンチ入り。初勝利もその時に挙げた。徐々に登板機会を増やすと3年春には6勝、防御率0.97をマークし、リーグの最優秀選手、最優秀投手をW賞。同年秋は2勝2敗と少し躓いたが、順風満帆に歩みを進めた。
それが3年時を終えた時までの桜井だった。
しかし、昨秋の時点で「来年のドラフト候補」として取り上げられていたものの、上位候補と呼ばれるほどではなかった。
そこには超えられない壁があったのだと桜井はいう。
「3年秋までは順調ではありましたけど、どうしても145kmを超えられない壁を感じていました。もともと、僕は球速にはそれほどこだわってなくて、ボールのキレとコントロールで勝負したいと思っていたんですけど、ストレートが強くないとカウントが悪くなってしまって打ち取るのが難しい。野球は流れのスポーツなので、どれだけチームに流れを持っていけるかと考えた時に、空振りやファールでカウントを優位に持っていくことが必要だと感じました。そこで球速を考えるようになりました。でも、何をしても伸びようがないというくらい、145kmの壁は高かった」
■プロアマ合同の日本代表で変わった意識。
そんな桜井を劇的に変えたのが、昨秋の第1回IBAFワールドカップ21Uの日本代表選出だ。
初のJAPANのユニフォームであったこともさることながら、当時のメンバーには桜井ら大学生だけではなく、プロも選出されていた。選手がプロアマ合同なら、コーチ陣もしかり。ここでの出会いの数々が桜井を大きく変えたのだった。
「プロの選手の体のケアの仕方、野球に対する意識が勉強になった」という桜井が、その詳細を話してくれた。
「コーチの豊田(清、巨人)さんに身体づくりと体幹レーニングの重要性を教えてもらったのが大きかったです。土台をしっかりしないと球速はついてこないんだなぁ、と。身体を大きくすること、体幹を鍛えることに取り組まないといけないと思うようになりました。それまでは3食しか食べていなかったんですけど、5食に増やしました。身体を大きくして、それからトレーニングに時間を費やしていきました」
■カウントを稼ぐためにこそ、速い球は活きる。
食事とトレーニングを並行しての身体づくり、そして、意識の変化。
4年生になって、桜井のボールは145kmの壁を超えるようになっていった。
「体に軸ができてきて、力が入るようになってきました。バランスが自然とよくなって、球速も伸びてきました。そんなに力を入れなくても、速い球を投げられるようになったんです。ストレートで空振りをとったり、ファールでカウントを稼げるようになりました。」
野球の流れを考えた時に必要な要素として考えた「はやいカウントで追い込む」ピッチングができるようになり、彼は劇的な成長を遂げたのだった。
冒頭の東北福祉大戦での18奪三振はチェンジアップが効果的に決まってのものだったが、はやいカウントが追い込めたことが、桜井のピッチングをより優位に運んでいた。
■桜井「スタイルはこれからも変わっていく」
もっとも、実際のところ桜井は三振を多く取るタイプではない。
ただ、引き出しとして三振も取れることを証明したという意味において、今回のピッチングが桜井の野球人生を明るくすることは違いない。
U-21日本代表のチームメイトだった田口麗斗や豊田清コーチのいる巨人に指名されたという縁も、桜井にとって効果的に働くだろう。
「スタイルはこれからも変わっていくと思うんです。僕は考えて野球をやるのが好きなので、これからも考えながら、やっていきたいですね。自分をどれだけ客観的にみられるかが大事なことだと思う。プロの世界で10年でも20年でもやっていけるような、息の長い選手になりたい」。
ひとまず、巨人担当記者たちの注目を一心に集めた奪三振ショー。
それは、あいさつ代わりというには十分なくらいの衝撃だった。

ジャイアンツスカウト陣が「してやったり」と思った瞬間だろう。
今年が不作?
数年後の評価が見てみたいよ。