そういえば、クラブ消滅危機があったよね

落日の王国 清水初のJ2降格という悲劇を招いた歪んだチームマネジメント
クラブ創設から多くのサポーターに支えられた清水。奇跡の残留を願ったが、3試合を残して降格が決定した【写真:Getty Images】
田坂監督嘆息「率直に受け止めるなら力がなかった」
似たような光景を今季、何度見ただろうか。この日も前半4分に、CKからあまりにも呆気なく先制点を奪われた清水エスパルスは、ゲーム終盤が近づくにつれて前への圧力を強め、人数をかけた攻撃を展開していく。だが、精度の低いボールはベガルタ仙台守備陣にはね返されるばかり。選手たちは、必死に戦っていた。しかし、あまりにも組織としての力と一体感を失っていたチームは、大きな見せ場を作ることなく敗れた。
残留争いの瀬戸際にきての4連敗、9戦白星なし――。シーズン序盤から歯車が噛み合わなかったチームは、まるで坂道を転がるようになす術なく最下位に沈んだ。試合終了から2時間半後にスタートしたアルビレックス新潟松本山雅FCの一戦で、15位の新潟が2−0で勝利。これで一縷の望みが断たれた。3試合を残して、Jリーグ参戦以来初のJ2降格が決まった。同じような苦境に立ちながらも、終盤戦に入って白星をなんとかもぎ取り、最終節で残留を果たした昨季とは違ったチームの姿が、そこにはあった。
「負けたら終わりというのはわかっていた。選手は走る、戦うということを真摯にグラウンドでやってくれた。でも、率直に受け止めるなら力がなかった」(田坂和昭監督)
今年は清水が危ない――。そんな声が開幕前に囁かれるようになったのは、2011年からだった。前年限りで、6シーズンに渡って指揮した長谷川健太監督(現ガンバ大阪監督)が退任して迎えたオフに、岡崎慎司(現レスター)、藤本淳吾(現横浜F・マリノス)、兵働昭弘(現大分トリニータ)ら従来のレギュラー半数以上が流出。前年にリーグ戦32試合に出場しながら、クラブから戦力外通告を受けたGK西部洋平(現川崎フロンターレ)の退団劇は、チーム内にフロントに対する不信感を生んだ。
■15位新潟勝利でオリジナル10陥落決定
降格候補にも挙げられたシーズンはしかし、問題を抱えながらも10位でフィニッシュする。新任のアフシン・ゴトビ監督の下で、時に勝負に徹したサッカーを演じたチームは、大前元紀がエースに成長し、高原直泰(現SC相模原)、高木俊幸(現浦和レッズ)ら新加入選手も期待通りの活躍を見せて崩壊を免れた。
翌年も太田宏介(現FC東京)らが流出する一方、ルーキーの河井陽介八反田康平、高校在学中にプロ契約を結んだ石毛秀樹のブレイクもあってナビスコカップでは決勝に進出。「ヤング・エスパルス」の躍進は、見る者に期待を抱かせるものだった。
もっとも、この頃からチームは戦力的に歪な状況に陥っていた。ルーキーを中心に、新加入選手はテクニカルで小柄な選手が多く、特に毎年のようにサイドバックの人材が枯渇。中盤の選手をコンバートして凌ぐものの、根本的な解決には至らなかった。
また、11年開幕前の大量流出以降、主力の流出が止まらなかった。もちろん、その代わりとなる戦力は補強しても、あまりにも顔ぶれの変化が激しいなかでは一貫した強化など望むべくもない。
■後手を踏んだ監督交代劇
そうした近年の流れに追い打ちをかけたのが、後手を踏み続けた監督人事だ。2014年は前半戦から低迷し、すでにアフシン・ゴトビ監督が求心力を失っていながら、リーグ17節まで引っ張った。
「ゴトビの次は大榎」と噂されていたとおり、後任には清水ユースを率いていたクラブOBの大榎克己監督が就任。既定路線と言えた人事だが、目指すサッカーの方向性は前任者とは明らかに違った。規律で縛られたサッカーから、ボールを動かし次々と選手が前線に飛び出していく攻撃的なサッカーへ。途中就任の昨季とは違い、キャンプからじっくりとチーム作りが行える今季は勝負の年だったが、序盤戦から攻守のバランスが崩れて下位に低迷した。
誰もが早期の監督交代を予感し、水面下で動いているとの情報も早い段階からあった。しかし、ファーストステージを勝ち点13の最下位で終えてもクラブは解任に踏み切らず、8月1日の大榎監督の辞任をもっての指揮官交代。もっとも後任に就いたのは、6月1日にJ2大分トリニータの監督を解任され、そのわずか1ヵ月後にコーチとして清水に招聘されていた田坂和昭氏。新指揮官にとっても選手にとっても、難しい状況であったのは想像に難くない。
日本でサッカーがまだアマチュアだった時代から、多くの日本代表選手を輩出し、清水商業高校(現清水桜が丘高校)や清水東高校といった名門校が、全国にその名を轟かせた日本の「サッカー王国」。そのプライドが、1992年発足のJリーグオリジナル10」の一角を担うクラブを誕生させ、99年セカンドステージ優勝などの歴史を育んだ。
だが、近年の低迷ぶりは、そうした誇りや歴史に反して、あまりにもお粗末なものだったと言わざるを得ない。クラブの一貫しなかった強化の果てに、年間勝ち点わずか21、最下位でのJ2降格という最悪の結末は待っていた。
(Soccer Magazine ZONE web 10月17日(土)22時30分)

根本的な危機は、そのころからくすぶっていたんじゃないですかね?