見出した可能性

ジョコビッチにフルセット敗戦も……。世界1位を追い詰めた錦織圭の哲学。
ツアーファイナル準決勝、錦織圭の世界ランキング1位ノバク・ジョコビッチ(セルビア)への挑戦は、試合時間1時間27分、1-6、6-3、0-6のスコアで決着した。過去の対戦成績は2勝2敗の五分。全米での鮮やかな勝利も記憶に新しかっただけに、力負けに落胆した向きもあっただろう。
確かに、トップとの力の差はあった。しかし、それ以上にクリアに見えてきたのは、錦織の可能性だった。
第1セットは何もできなかった。ジョコビッチの室内コートでの連勝は、今大会のラウンドロビン(予選リーグ)3戦で30に達していた。この、少し球足の遅いコートはジョコビッチの庭。球足が遅い分、相手のボールに追いつき、自分の間合いでカウンターを放つ時間がある。得意のショットは効果を増し、自信は揺るぎないものとなっていたはずだ。「こてんぱんにやられた」と錦織。相手に3度のブレークを許し、わずか23分で決着した。
「何をしてもミスしない。いくら振っても、深いディフェンス(のボール)を返してくるし、サーブもいい。何をしても勝てないんだろうなという雰囲気」
錦織の言葉が、このセットのジョコビッチの出来をすべて言い尽くしている。
■第2セット、錦織が見せた対抗手段とは……。
しかし、蛇のようにしつこく、あきらめることを知らないのが錦織だ。「何をしても……」と言いながら、実は対抗手段をふところに隠し持っている。リスク覚悟で、攻撃のレベルを一段上げた。
第2セット、錦織は「テンポを早くして、ガツガツ打っていった」。ジョコビッチが球足の遅さを味方にするなら、その「時間」を奪ってしまえとでも言うように、錦織はライジング気味にボールをとらえた。ラウンドロビンロジャー・フェデラー(スイス)が錦織に仕掛けたように、超速攻で自分のリズムに引きずり込む。そうしてジョコビッチの返球が少しでも甘くなれば、ベースラインを越えて前に侵入していった。
その一打一打が、最近の錦織が好む「ボールをしばく」という表現そのままの強打だった。
強打者ぞろいのツアーでもなかなか目にすることのない、破壊的なフォア。さらに、迷わず攻撃の手札を選択する勇気、その決断の早さも常識外と言えるものだった。
■錦織の攻撃に、ジョコビッチが受けたダメージ。
さすがのジョコビッチも、錦織の攻撃に少なからぬダメージを受けたらしい。観客を気にするそぶりや、事態の急変に困惑したようなボディランゲージに動揺が窺えた。
電光石火の早技で錦織が試合展開を一変させ、セットオールに追いついた。
ところが、第3セットの出だし、ジョコビッチサービスゲームで試合が再び動き出す。
錦織は15-40のブレークポイントを2本のエラーでふいにした。攻撃的にいく中でのミスであったことは間違いない。しかし、これは、心理状態の小さな変化が引き起こした痛恨のミスだった。
第2セットの優勢を呼び込んだのは、少しのリスクを負いながらの攻撃だった。しかし、この2本は自滅に近いミス。錦織がここでの心理状態を明かす。
「トップの選手を意識しすぎてしまった」
「このままでは勝てないと思ってしまったことで、テニスを変えてしまった」
ナンバーワンプレーヤーに対する警戒心がそうさせたのだ。そこが、世界ランク1位と5位の差と見ることもできる。
■「いい試合をしたところで、得るものはない」
チャンスを逃した錦織は次のサービスゲームを簡単に落とし、坂道を転がり落ちていく。最終セットにもつれた試合の勝率79%と、歴代(オープン化以降)トップの錦織でも、流れを食い止めることはできなかった。
「いい試合をしたところで、何も得るものはないというか、どんな相手でも、勝てないと悔しさは残る」
人一倍、負けず嫌いの男である。錦織の頭にあったのは、敗者には何も与えるなという勝負哲学か、それとも敗戦を糧とせよという鉄則か。
本人の言葉とは相反するが、この試合で錦織は大きなものを手にしたはずだ。
室内コートでは難攻不落と思われたジョコビッチのテニスを、一度は完全に崩した。相手に心理的にダメージを与えるほどの攻撃力を見せつけた。全米準優勝と自己最高の世界ランク5位の実績に加え、このO2アリーナで、錦織はメガトン級のインパクトを男子ツアーに与えたに違いない。少しシナリオを書き換えるだけで、彼は世界の頂点に立てる――ジョコビッチとの試合で錦織が世界に示したのは、その可能性だった。
(Number Web 11月16日(日)16時31分)

爪あとは残した。
それが未来に作用する日は、来るかもしれない。