大方は人災

「人災と言われても反論できんのじゃないか」【広島市北部土砂災害続報】
8月20日未明に起こった、広島市北部の土砂災害。
死者42人、行方不明者43人、2000人を超す避難者が不自由な生活を強いられている。
私が現場、安佐南区の八木、緑井地区に到着したのは、土砂崩れがあった日の夕方、薄暗くなったころだった。
被災現場に向かおうとしたが、「暗くなり、地盤が弱くて危ない」という消防隊員の声を聞き、断念。
翌日早朝から、山を登った。道幅は車1台が通過できるくらいだが、舗装された道。普段なら10分もあればふもとまでたどりつけるという。
だが、山から流れ出した泥水で、道が川。崩れたところは滝のようになっている。
道なき道を、捜索活動に向かう消防隊員について歩き、土砂崩れの現場に30分近くでなんとか到着。目の前に広がったのは、流れ出した人の3倍はあろうかという巨大な石。ひっくり返った車、1mを超す流木、折れ曲がった電柱などが散乱。住宅は押しつぶされたり、泥に埋まっている。信じがたい光景だ。
土砂崩れというより、土石流いや、山津波といった方がいい。
ふもとの高い場所の民家では、すでに自衛隊員や警察による捜索がはじまっていた。
「そこ、何か見えないか」「埋まってるのか、見えない」と声がする。
かなり難航しているようだ。
その横に、なぜかきれいなひな人形が飾られていた。後で聞くと、捜索中にきれいなまま、出てきたそうで、「思いで深いもの、捨ててはいけないとよけていました。なんとか、行方不明者もきれいなまま、発見したい」と捜索していた自衛隊員は話していた。
その横で、巨大な石をぼう然と見つめる家族がいた。整体師の湯浅康弘さん(29)とみなみさん(28)の両親や家族たちだ。7月末に湯浅さん夫妻は、新築のアパートに入居。新婚生活1か月ほどで災害に巻き込まれた。みなみさんの父親、若松順二さん(51)は香川県から深夜、車で駆けつけた。
「大きな石の下にアパートが埋まっているようです。早く石をよけて、探してほしいのですが」
だが、現場は足場が悪く、ガレキも散乱。簡単に重機を入れることができそうもない。
みなみさんは妊娠7か月で、11月に出産予定だったという。
若松さんは言う。
「子供ができたら、自然があり空気のいいところと、ここの新築のアパートにしたそうです。もうちょっとで孫の顔が見れると楽しみにしていた。それが、こんなことになって。あまりのひどさに、涙も出ません。とにかく早く、見つけてほしい」
土砂崩れの現場は、広範囲に及ぶ。
広島市安佐南区緑井地区と八木地区にかけていくつも土砂崩れが発生。住宅が流され、つぶされた。8月20日未明、すさまじい雨が降ったという。
「テレビの声が聞こえないので、ボリュームをあげたがまだダメ。そのうち大きな雷が鳴り響く。バケツをひっくり返したという表現がピッタリのような雨でした」と話してくれたの、土砂崩れの現場のわきにある県営住宅の部屋の泥を掃き出していた、住民。
あまりの雨に深夜12時くらいに避難したという住民もいたが、多くはとどまっていた。避難指示、避難勧告がなかったためだ。
「何か指示が出るのかと、何度もテレビをつけたり、携帯電話のニュースやアプリで確認したが、なかった。それに、すごい雨で車をもっていないので、手段もなかった」
「もし避難するというなら、お年寄りや小さな子供もいる。広島市がバスなどで迎えに来るのかと思った。それが無理でも、広報車などで呼びかけくらいはしてくれ、近くの学校に誘導するとかしてくれると。それが何もない。見殺しじゃけんの」
そんな住民の声が聞こえた。
深夜3時過ぎ、県営住宅にも大量の土石流。
「眠い目をこすりながら、大丈夫かと部屋にいきなり土砂が突っ込んできた。何が起こったのか、わからんかった。泥まみれになりながら、妻と外に逃げ出そうとしたが、土砂で開かない。窓から、逃げ出して、なんとか助かった」と58歳の男性。
というのも、その後、第2の土石流があり、それに流された亡くなった人もいるそうだ。
63歳の女性は九死に一生を得た。大雨で怖くて、同じ県営住宅の人の家に6人ほどが集まって夜を明かした。少し明るくなって、逃げようと外に出た。
「周囲は泥ばかりでそこに車や丸太、自転車、巨大な石などがあちこちある。そうして、かたまって歩いていると、上から泥水が大量に流れてきた。それに足をとられ流された。3mくらいのところにフェンスがあり、ひっかかった。何とか一緒だった人に助け出してもらった」
幸い、女性は打撲、擦り傷程度ですんだ。
「この付近は、土砂崩れはときよりある。だが、こんなひどい山津波のようなことは聞いたことがない。事前に広報でもあれば、もっと危機感もって対応できたのに…」と女性を泥水の中から救った男性は残念そうに、そう話した。
広島市北部の土砂崩れから、約一週間。
避難指示、避難勧告の遅れについて、前回、書いた。
広島は世界ではじめて原爆が投下された。
私は以前から、そういう歴史もあって、防災面でも意識が高い都市ではと思っていた。だが、取材を進めると「防災意識が高い? いや、まったくだ。政令都市で比較すれば、防災意識、防災対策、下位にランクされますよ」と自民党広島市議員はそう話し「今回の土砂崩れ、もっと以前にとれる対策はあったように思う。ある意味、人災と言われても反論できんのじゃないか」と防災対策のあり方を疑問視した。
南が瀬戸内海、北が中国山地広島市
山も海も防災対策が必要だ。高潮対策も、以前は「20年か30年に一度、起こる災害に金かけるのも」。
昔は、市役所、市議会では平気でこんな話があったという。
「平成3年9月、台風19号で6人が亡くなり、甚大な被害があった。それで国が予算組んで、高潮対策などやろうとしたときも、そんな金をかけてという人がいた。平成11年にも広島市北部で土砂崩れがあった。本当なら、すぐに対策をとるべきなのに、十分にはなされないのが、広島市
今年2月、広島市議会では、今回の土砂崩れ現場に近い、安佐南区の安佐市民病院の建て替え問題が大きな議題だった。
松井市長は、移転を推進。だが、与党の自民党会派は現状の場所で建て替えをと訴えた。市議会で賛否を問うと同数。最後は、議長採決で、市長案は否決となった。
「問題となったのが建て替え場所。川の横に高台をつくり、移転するという。水害が起こると反対意見が多かった。今の場所は、水害の危険性が少ない。だから、今回の土砂崩れでも病院として負傷者をケアできた。防災意識が高ければ、川の横に移転なんて発想はしません。市長からして、防災意識に欠ける。そのツケが今回の土砂崩れだったかもしれない」(前出・広島市議)
行政側も、これまで対策は講じてきたという。
だが、「開発の基準を満たしていると、許可するしかない。開発で家が建った、けどあそこは江戸時代に山津波が来たところらしいとか、沢が土砂崩れで埋まりなくなった地盤の弱いところとか、そんな話はたくさん聞いている。しかし行政では、なにもできない。津波のように、何百年前のデータでもきちんと検証、対応する仕組みを作ってほしい。土砂災害警戒区域に指定すればとなるが、土地の価格が安くなり、簡単にはいかない。訴訟されることもある。国がシステムを作ってほしい。地方自治体レベルではどうにもできません」(広島県幹部)
こんな声に対して、国はどう答えを出すのか。
こんな災害は2度と起きない、システムの構築を祈るばかりだ。
(DAILY NOBORDER 8月23日(土)21時16分)

ともかく、このあと何もしないじゃ済まされないよね。