ロックな政治家の最期

急逝の岡村川口市長、壮絶な最期 「来春までは頑張る」
25日未明、60歳で急逝した川口市長の岡村幸四郎さんの枕元に家族らが集まった。肩で息をする岡村さん。生きようとする懸命な姿に、きょうだいが「息を吸って。息を吐いて」と声を掛けたが、午前4時45分、岡村さんの息は止まった。岡村さんは最後まで生きようと頑張っていた。周辺の関係者の話を総合すると、岡村さんの壮絶な最期が明らかになった。
都内の病院で療養していた岡村さんは、12月市議会に病院から通っていた。20日前後に都内の病院から川口市立医療センターに移った。
体は相当衰弱していたが、ほとんど精神力で議会に出ていた。20日の議会最終日も病院から市議会に臨んだ。この日の本会議で、新市庁舎建設位置について「SKIPシティが適地」とする審議会答申に反し「現在地」とすることで議会の同意決議も得た。
岡村さんはほっとしたようだった。これでしばらく休めると思ったらしい。自民党川口支部の幹部には「1カ月ぐらい休養したい」と告げていた。しかし、その頃、医師からはこの1週間がヤマ場という厳しい診断が出ていた。本人には知らされなかった。
「休みたい」と思ったことで、命を支えていたものが崩れ始めたのだろうか。20日までは頑張るという気力が抜けて、一気に容体が悪化した。
食欲がなく、食べていないのに点滴の薬を吐く。そんな苦しそうな様子は議場でも見られた。ハンカチをそっと口に持っていくことがあった。
家族やきょうだいたちは、本人に知られないように別れを告げることを考えた。きょうだいが一度に枕元に集まると、本人に厳しい診断を悟られてしまう。
枕元に一人一人立つきょうだいに、岡村さんは「ありがとう」「具合が悪いことを黙っていて悪かったね」と話した。自分に下された厳しい診断を知らなかった。言外に「また元気になるから、安心してくれ」と言っていた。目をつぶり、肩で激しく息をしていたが、一生懸命に生きようという気持ちが伝わってきた。
「おまえは十分頑張ったんだ。(市長を辞めて)もう休めよ」と言う兄たちに、岡村さんは「ありがとう。仕事があるんだろ。もう帰っていいよ」と話した。それから間もなくして、岡村さんは旅立った。
最近、めっきりやつれた様子に、きょうだいや家族は「市長を辞めたら」と休養を勧めた。岡村さんは「来年春までは頑張る」と答えたという。
埼玉新聞 12月27日(金)16時41分)

文字通り命を賭けた政治家に、万雷の拍手を・・・