白い香川

「シンジ、マドリーに来ないか?」モウリーニョが香川を誘った日。
インタビューをしていると、時として思いがけない発言に出くわすことがある。
こちらがまったく予期していなかったことを話し始めたり、想定外の意見がでてきたり……。インタビューというものは話の流れをある程度計算して進めるものだけれど、そういった部分に関しては計算ができない。そして本当に面白い話というものは、大体がそんな予期できないところから生まれるものだ。
香川真司「いつかバルサでプレーすること。彼らは世界最高のサッカーを見せているから」
今回、10月下旬にロンドンでセッティングしたジョゼ・モウリーニョとのインタビューでもそんなことが起きた。
取材も終盤に差し掛かった頃のことだ。モウリーニョはふとある話を始めた。
それは香川真司についてだった。
「実はまだレアル・マドリーの監督だった頃、私はカガワの獲得に動いていた。実際に我々は彼と話をした。ぜひレアル・マドリーに来てほしい。このチームで一緒にプレーしないかと」
モウリーニョが実際に香川と接触していた――。
香川のドルトムントでの2シーズン目、欧州の様々なメディアにはあらゆる種類の移籍の噂話が出ていた。たしかに、その中にはレアル・マドリーの名前もあった。しかしそれはタブロイド紙の得意な「とりあえず打てばどれかは当たるだろう」的な根拠のない憶測に過ぎなかった。
チェルシーレアル・マドリーバルセロナマンチェスター・ユナイテッドマンチェスター・シティ……。紙面の上で、香川は欧州の幾多のビッグクラブへ移籍寸前だった。
モウリーニョが実際に香川と接触していた――。
それはまったく聞いたことのない、新しい事実だった。スペインの『マルカ』紙や、マンチェスターの地方紙『マンチェスター・イブニングニュース』だったら食いついていただろう。
それでは、モウリーニョが直接コンタクトを図ったこの誘いはなぜ実現しなかったのか。
「ひとつだけ問題があったんだ」
■トップ下に君臨していたメスト・エジルの存在。
モウリーニョは香川との接触についてこう説明してくれた。
「それが、レアル・マドリーでは常にプレーできるわけではないということだった。当時の私の第1選択肢はメスト・エジルだった。私はそれも隠さずに正直に彼に伝えたんだ」
2011-2012シーズン、エジルレアル・マドリーにおいて代えのきかない選手になっていた。トップ下で自在に攻撃を操り、クリスティアーノ・ロナウドのゴールの大半をアシストした。
モウリーニョは、そんなエジルの代役として香川を考えていたのかもしれない。
あるいは、どちらかを右サイドに回し、共存させる考えもあったのかもしれない。もちろん、今となっては分からないことだ。
「結果的にカガワはマンチェスター・ユナイテッドを選んだ。もちろんユナイテッドもビッグクラブだが、恐らく彼はユナイテッドの方が出場機会があると考えたのだろう。彼がマドリーに来ることはなかったが、私はできることをトライした。彼のプレースタイルが好きなんだ」
そう話すモウリーニョに後悔は感じられなかった。やることはやり、伝えることは伝えたのだろう。とてもさっぱりとした話し方だった。
■サッカー“以外”の人間的な部分に迫ったインタビュー。
香川を誘いながらも、エジルが第一選択肢だという本心を少しも隠すことなく伝える点は、実にモウリーニョらしい。
「ポジションが保証された選手などいない」、あるいは「調子のいい選手を出す」と言うことだってできたはずだからだ(実際にほとんどの監督はそうやって選手を誘っている)。
考えていることをストレートに伝えるモウリーニョ人間性は、選手獲得の交渉の席でも出ているのだと、妙に納得できた。
このインタビュー中に発された彼の言葉が、あまりにも真っすぐなものだったからだ。
Number841号(11月14日発売)に収録されたインタビュー(『聖書とジョブズと私が守るべきもの』)では、ピッチ上のサッカーについてはほとんど語られていない。
選手やチームや戦術については、記者会見でも知ることができる。普段はインタビューを受けないモウリーニョと直接交渉をして得た、クラブ広報すら同席しない貴重な時間だ。彼の人間的な部分に迫る対話がしたかった。
■「カガワの苦境も一時的なものだよ」
色んな話をした。
スティーブ・ジョブズとリーダー論。チェルシーに戻ってきて、まずはじめにフランク・ランパードに伝えたこと。TwitterFacebookの功罪。信仰と宗教というデリケートなテーマ。それらについて、モウリーニョは真剣に、丸々一時間話し続けた。
2年前の香川にも、きっと彼は考えていることだけを真っすぐに伝えたのだろう。
モウリーニョの誘いを断り移籍したマンチェスター・ユナイテッドで、香川はまだ本来の力を出し切れていない。そんな現状について、奇しくも今季同じプレミアリーグで戦うことになったモウリーニョは温かい見方をしていた。
「たしかに今、カガワのプレー時間は限られているかもしれない。ただ、それは彼だけの責任じゃない。クラブにはモイーズという新監督がやってきて、いま新たなチームを作っている段階だ。ベースを作っている時期なんだ。チーム自体も苦しんでいる。カガワの苦境も一時的なものだよ」
かつて自らが望んだ選手だからなのか、その言葉には優しさすら感じられた。
■来年1月、プレミアのピッチで2人は再会する。
サッカーに「たられば」は禁物だ。それでも思い描いてしまう。
あのとき、香川がモウリーニョの誘いに首を縦にふっていたら――。
今頃、彼は白いユニフォームを着てサンティアゴ・ベルナベウに立っていたかもしれない。ロナウドの隣を、スペイン人の喝采を浴びながら駆けていたかもしれない。
いつかバルセロナでプレーするという夢を香川が描いていたというのは有名な話だ。しかしそのバルサを規模で上回る、世界最大のサッカークラブが彼を求め、接触していたのである。スペインでのプレーは、手の届くところまできていたのだ。
モウリーニョと香川。かつて将来について言葉を交わしたふたりはいま、それぞれの場所で戦っている。来年1月、彼らがプレミアリーグのピッチ上で再び相まみえる日が、今から楽しみになってきた。
(Number Web 11月14日(木)16時6分)

それもそれで実現してたらすごい話だ。