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「都営交通24時間化」はパズルの1ピースに過ぎない
●「夜の経済」の可能性
電通が今年2月に発表した「2012年 日本の広告費」。それによると、成長著しいインターネット広告の市場は8680億円で、2013年度には1兆円を突破する可能性があるそうだ。実はそのネット広告の市場規模に匹敵するのが、夜のニューヨーク市である。
少し古いデータになるが、ニューヨークのナイトライフ・アソシエーションが2004年に発表した調査研究(PDFファイル)によると、同市の「夜の娯楽産業」の規模はおよそ97億ドル(約9900億円)。また9万5500人分もの雇用を生み出しているそうである。同調査は飲食店やエンターテイメント、タクシーといったビジネスしか対象にしていないが、他にもグローバル化した経済に対応するため、昼間と同様の業務に携わっている人々も存在する。そういった活動も含めれば、夜間経済の規模はさらに大きくなるだろう。
このようにニューヨークにとって無視できない存在である夜の経済活動だが、それを支えているのが地下鉄の24時間運行だ。
ニューヨークの地下鉄が完成したのは1904年。およそ100年の歴史があることになる。現在は24の路線、468の駅を抱え、年間乗客数は約16億人に達する。開業当初から24時間運行に取り組んでおり、路線にもよるが、深夜の時間帯にも15〜20分間隔で列車が走っている。ニューヨークはイエローキャブでお馴染みのタクシーも有名だが、安い公共交通が24時間運行していることで、誰もが夜遊びに出かけやすいというわけだ。
私もたった2ヶ月間だけだが、マンハッタン島内のチェルシー地区で生活したことがある。期間限定のニューヨーク生活ということで、仕事に加えてあちこち遊び回ったのだが、遅くなっても地下鉄が動いていたので驚いたことを覚えている。
●東京都も24時間化?
同じような需要を東京にもつくり出すことができるのではないか――先月の4月15日、東京都の猪瀬都知事がニューヨークを視察し、東京都の公共交通の24時間化を検討することを表明した。実際に年内にも六本木―渋谷間の都営バスを24時間化し、利用状況を調査するそうである。記者会見で猪瀬都知事は、都民のメリットをどう考えるかという質問に対してこう答えている:

ひとつは、公共交通機関が動くことで新しい需要が発生するということがある。すでに乗り遅れた人を救済するというイメージではなく、いろいろな産業がそこによって起きていくということ。それから、海外に駐在している人は、向こうが夜でも東京は昼間だったら、それに合わせてタイムシフトして仕事をこなしたりしているが、逆に日本が夜であっても、向こうが昼間だという時には、タイムシフトやって仕事したりしている。つまり、地球は24時間、どこかの市場が開いているということで、グローバル化に対応できるような交通体系が必要であろうと。

出典:猪瀬知事 都営バス24時間化「新しい需要が発生する」 (産経新聞) - Yahoo!ニュース

つまり単なる「いつでも帰ることができる」というメリットだけでなく、「新しい需要」を生み出し、ニューヨークのように夜間の経済活動を活性化しようというわけだ。
華やかに見える東京だが、世界的・将来的に見ると様々なリスクをはらんでいる。現在も世界の大都市間で激しい競争が行われており、ビジネスしやすく、かつ住みやすい都市を創造することで企業や人々を引きつけようと関係者が頭を捻っているが、東京の場合は少子高齢化というハンデを抱えている。東京都が今年3月に発表した予測によれば、東京都の総人口は2020年の1336万人がピークであり、その後は緩やかな減少に転じる見込みだ。そして2035年には平均年齢が50歳を超え、1人の高齢者もしくは児童を1.7人で支える計算になる。世界中から人々が集まり、経済活動も活発に行われる大都市を維持するためには、「交通の24時間化」に限らず様々な対策が必要なのである。
●24時間化は実現できるのか
ただし、狙い通りに夜間経済が刺激できるとは限らない。既に多くの反論が行われているが、例えば都営地下鉄の24時間化に取り組むとなると、保守点検の時間をどうするのかという問題が出てくる。ニューヨークの地下鉄の場合、複々線が採用されており、運行本数の少ない休日・夜間に保守点検を実施するという対応を行っている。都営地下鉄も同じ方式を採用するとなると、莫大な投資と、運用プロセス再構成に向けた時間が必要になるだろう。
さらにいったん改修を終えても、24時間運行によって新たな人件費が発生することになる。実際にニューヨークの地下鉄は大きな赤字を抱えており、経費の約8割を占める人件費が重い負担となっていることが指摘されている。既に経営に問題を抱えている都営地下鉄が、24時間化によってさらに経営を悪化させる可能性は否定できない。
ただこうした運行・運用システムについては、日本が得意とする分野でもあり、技術開発などで大幅に改善できる可能性もあるだろう(保守点検のシステムについても同様だ)。それよりも問題なのは、社会環境の側ではないだろうか。
ニューヨークの夜間産業は、24時間運行の地下鉄ができたから一夜にして誕生したというわけではない。長い時間をかけて徐々に形成されてきたものであり、逆に夜遊びできる場所が増えることで、深夜の公共交通に対する需要が増えてきたという側面もあるだろう。またご存じの方も多いと思うが、かつてニューヨークには「犯罪都市」というイメージがあり、これを改善するために1990年代後半から徹底した犯罪対策が行われた。さらに大きな視点で見れば、ニューヨーク市における金融業界の存在や、停滞していた地区に対する積極的な活性化施策、テクノロジーベンチャー等の新しい産業の育成といった要素も無視できないだろう。エコシステムではないが、ビジネスやルール、仕組みといった周辺の環境が揃うことで、「24時間運行する公共交通」というピースが活きてくるのである。
従って東京都は単に24時間化を行うだけでなく、様々な関連施策を行う必要がある。例えば東京の場合、23区外から通勤している人も非常に多い。都心部の昼間人口は、夜間人口の6.7倍にも達しており、この値は世界の大都市の中でも特出している(ニューヨークは1.2倍程度)。つまり都営交通が24時間化されただけでは「いつでも帰ることができる」という安心感を味わえる人は限定されるため、JRや私鉄各社などとも協力してゆかなければならないわけだ。また娯楽産業の24時間化に向けては、風営法などといったルール面の壁があるため、これも適切な手続きを経て変えてゆく必要がある。そうなると東京都だけの問題ではなく、国や議員などとも協議を進めなければならないだろう。
その意味で、年内に実現するという六本木―渋谷間の都営バス24時間化は、当面の間は目立った成果を上げられない可能性がある(この周辺に住む人々や、飲食店等をよく利用しているという人々にとっては朗報だが)。しかし短期的な結果を見て「やはり止めるべき」と判断するのではなく、なぜ成果が出なかったのか、どのような対応が可能かを考える方が重要だ。
●「どのような東京であるべきか」を考える
もちろんこうした点は、周囲の人々が指摘するまでもなく、都の中で検討を進めているだろう。実際に東京都は今年1月、「『2020年の東京』へのアクションプログラム2013」を発表し、産業振興や国内外からの来訪者の呼び込みに力を入れることを宣言している。猪瀬発言もこうした全体像の中から出てきたもののはずだ。
一方で都民の側でも、単に「24時間運行する公共交通があると嬉しいかどうか」で考えるのではなく、これから東京をどう変えてゆくのか、どのようなライフスタイルを目指すのかという全体像を見る必要がある。例えば今回の発言に対する批判の中で、「夜は帰って寝るものだ」という意見が見られた。あまりに漠然としていて、哲学的な反論なのだが、24時間化自体にも「世界経済の歩みに合わせて、24時間競争できる街を目指そう」という哲学が隠れている。その意味では、「夜は眠る街を目指そう」というのが最も正しい反論と言えるかもしれない。
いずれにせよ、「都営交通24時間化」はパズルの1ピースに過ぎない。どのようなピースとセットで組み立てられ、完成したパズルにどのような絵が描かれているのか、目先の議論に終始することなく考えてゆく必要があるのではないだろうか。
(小林 啓倫 | (株)日立コンサルティング経営コンサルタント 2013年5月17日(金)12時42分)

エネルギー消費の観点からはあんまり賛成できないんだが、世界経済で勝負しようと思うなら必要性も分からなくもないし・・・
うーん・・・。