気合だけでは何とかならない

ヤンキー的な気合主義が蔓延している
日本社会にヤンキー文化が拡大しているという精神科医斎藤環氏。今回の安倍晋三政権も、ヤンキー特有の「気合入れれば何とかなる」という空気に支持されていると指摘し、話題となっている。
ヤンキー文化のマイナス点とは?
──ヤンキー的事象が次々と出てきているそうですね。
大阪・桜宮高校の体罰問題がそうです。先生がたたかれ始めた途端、保護者が「桜宮応援団」のような支持団体を作り、先生の体罰のおかげでこんなにうちの子はよくなったとか、自分も体罰で強くなったとか言い始めた。まさにヤンキー的な気合主義です。体罰は気合を入れるためにあるわけですから。
体罰する側にこれほど支持が厚いのは異様な事態だが、日本社会にいるかぎりそれほど異様に見えない。われわれはそういう空気にどっぷりつかっているのです。
それから立て続けに起きたのがAKB48メンバーの丸坊主問題。過剰に自分を痛めつけるパフォーマンスによって罪を償う自傷的謝罪です。切腹の時代から土下座文化を経て丸坊主、これは日本に連綿と受け継がれてきた後進的カルチャーといっていい。ところがある調査では、彼女の丸坊主を肯定する人が50%を占めた。海外にも報道され、アウシュビッツだと批判されているにもかかわらず、日本では丸坊主が当たり前に受け止められている。
──そして安倍政権も……。
ヤンキーは仲間と家族を大事にする。安倍さんの親学への親和性、子育てに対する考え方や家族の絆を大切にするという発想がヤンキー的です。福祉や弱者保護は国民の絆任せにし、政府はおカネをじゃんじゃん刷って経済をもり立てればいいという発想も、ヤンキー的なアゲアゲのノリをうまくとらえている。
みんな絆という言葉に弱いですから。そもそもは拘束や動きを束縛するという意味を持つ絆という言葉が、特に震災を契機にして麗しいもの、なくてはならないものという言葉に変わっていく様は奇妙ですが。
生活保護費の切り下げもヤンキー的です。ヤンキーの人権意識は自己責任。つまり「義務を果たしていないやつには権利を与えるな」というもの。万人が一定の人権を持っているという天賦人権説に照らせば、生活保護は請求があれば支給するのが当たり前です。それがいつの間にか、本当に困っていて、頑張ったけれどダメだった人にしかあげることが許されないようなことになっている。
そこにあるのはヤンキーのムラ的発想にほかならない。集団に寄与していない人間には集団も利益を与えないという村八分的論理です。
──学校現場でもヤンキーに慣らされる教育がなされているとか。
それはもう露骨です。たとえば、多くの中学校で踊られている「南中ソーラン」がいい例。元は北海道のある中学校が不良の更生のために導入して成功した。それがドラマ金八先生のエンディングで使われたところ、あっという間に全国に広がった。伝統的なソーラン節をロック調にアレンジしており中学生でもノリやすい。衣装は竹の子族のような派手なハッピ。金のネックレスやセカンドバッグなどと同じく、ヤンキーが好むバッドセンスです。
中学校ではダンスが必修科目になり、多くはヒップホップを踊っている。つまり今の中学生はヤンキーになるかB系になるしかない。こうして日本のヤンキー文化はますます増殖傾向にある。
かつては不良経験を持った人しかヤンキーになれなかったが、今や不良経験というコアなものを抜きに、バッドセンスだけを引き継いだヤンキー層が広がりつつある。
日本の政治家にもヤンキーは多い。日本の選挙運動というバッドセンスなものに何の抵抗もないのがヤンキー的な人たちだからです。
決起集会では「エイエイオー」なんてやって、たすきを掛けて白い手袋で街頭演説。群衆の中で自分の名前を連呼するという恥辱プレーをしなければならない。普通なら耐えがたいですよ。しかしヤンキー的な人々にとっては自然なこと。これがそういう伝統なんだと言われたら納得してしまう。反知性主義であり、現実思考的なのはヤンキーの特徴です。
──統治する側とされる側が同じ体質。自民党政権は安泰ですね。
安泰だとしか考えられない。日本維新の会はヤンキー色が濃すぎるが、自民党はちょうどいい。マンガ雑誌に例えれば、ヤンキーマンガがいちばん多く載っているのは『少年チャンピオン』です。維新の会はチャンピオン。一方、ヤンキーもあればオタクもある、ぬえ的な雑誌が『少年ジャンプ』、これが自民党。日本でいちばん売れているのはジャンプですから。
ヤンキーは基本的に内向きで内弁慶です。女子柔道で問題になったが、スポーツマンでも公式の場では「皆様の力で勝たせていただきました」なんて言いながら、裏では「俺が厳しく指導したから勝てたんだぞ」とか言っている。ヤンキー的な裏と表の顔の使い分けです。
日本人には、体を痛めつければ心が鍛えられる、心が鍛えられれば体が強くなるというような変な回路がある。それがうさぎ跳びとか、運動中に水を飲んじゃいかんという、むちゃくちゃな非合理的特訓、スポ根的な特訓につながっていく。こうした精神主義はヤンキー的気合主義と相通ずる。根っこは第二次大戦当時の大和魂精神主義につながるものです。当時の論理が亡霊のように生き残っていて、スポーツ界ほかいろいろな場所に顔を出している。不気味で嫌な印象を抱きます。
──ヤンキー文化のマイナス面をどう打破するべきでしょうか。
近代的な個人主義を再インストールすることだと思う。
体罰が強要されるのはスポーツマンの個人主義が認められていないせいだ。技量の不足は未熟さの表れであり、未熟な人間の権利は制限されて当たり前と考えてしまう。
学校で教える徳目(道徳の内容)から協調性を外すことが必要かもしれませんね。協調性だけを強調するカルチャーが、ムラ社会におけるいじめのロジックを補強している。一人だけ変わったことをするやつはいじめていいという話につながっている。
あくまでも個人の権利を尊重することが最優先事項で、協調性は2番目か3番目に大事であると教育しないと、いつまでたってもヤンキー的な、個人よりも集団を優先する論理がまかり通ってしまう。個人よりも家族、個人よりも地域、個人よりも学校。今起きている問題はすべてこのロジックに起因している。
ただし日本的集団主義のカルチャーは簡単に否定できない面もある。集団主義が世間という相互監視システムを作り上げ、突出した犯罪はめったに起こらない。薄い毒をみんなで共有することで、濃縮された毒が1カ所にたまるのを防いでいる。日本社会は世界にまれに見る平和な社会で、治安にかけるコストも低い。ただ、この平和を維持している空気が、社会の天井の低さ、閉塞感につながっている。
典型的なのは、日本における引きこもりの多さとホームレスの少なさでしょう。若年ホームレスだけ見れば1万人いない。米国には100万人、英国に25万人いるのに日本は異常に少ない。それがどこにいるかと思ったら家の中にいる。引きこもりという形で。排除された若者は家族が支えているんです、絆で。
こうしたこともアゲアゲの景気のよさにかき消されていく。何だかんだ言っても景気がよくなれば国民の気分はよくなる。よくなれば弱者の存在は目に入らなくなる。安倍内閣が景気最優先と掲げたのは、目くらましとしては最高でしょう。
東洋経済オンライン 3月17日(日)6時0分)

ホントはそこにいたるまでのロジックのほうがはるかに重要なんですけどね。
気合は、僕は否定していない。
ただ、やることもやっていないのに気合だけでどうにかなるほど甘くもないんだから。