永遠に決着しない

<山形大生死亡>母「救急車来ていれば」
昨年11月、山形大理学部2年の大久保祐映(ゆうは)さん(当時19歳)が山形市の自宅アパートで遺体で見つかった。祐映さんは発見の9日前、体調不良で自ら119番していたが、市消防本部はタクシーを勧め、救急車は来なかった。全国的に救急出動が激増する中で、救急の現場は患者の緊急度の判定という重い役割を担わされ、市に損害賠償を求め提訴した母親は「なぜ来てくれなかったのか」という問いを繰り返す。初弁論は10月9日、山形地裁で開かれる。
「祐映は我慢し過ぎるくらいの性格だった。自分で119番するなんて本当に苦しかったに違いない」。そう考えると切ない。
埼玉県に住む母親の職場に山形大から「祐映君と連絡が取れない」と電話があったのは昨年11月9日。アパートの大家に連絡して部屋を訪ねるよう頼み、列車に飛び乗った。その車内で大家から電話が入った。「お母さん、だめだ」
再会場所は警察署の一室だった。「お茶を飲ませていいですか」。対面の前に、息子が119番し、喉の渇きを訴えたと聞いていた。まだ水を欲しがるように開いた口に、ペットボトルのお茶をゆっくりと注いだ。「よほど喉が渇いたんだね。」
祐映さんは埼玉県熊谷市で生まれた長男。両親は幼い頃に離婚し、母親が女手一つで育てた。弱音を吐かず、優しい子供だった。下校時に駅へ車で迎えに行くと「仕事で疲れているのに気を使わないで」と心配された。生物学に興味を持ち、中学3年の頃には「将来は研究者か理科の教員に」と夢を語った。
医師の所見では「病死の疑い」としか分からなかった。死亡したのは119番の翌日ごろという。「なぜ救急車は来てくれなかったの」。翌10日、119番の音声記録を山形市に開示請求した。
「運が悪かった」と納得しようと努力もした。だが「もし救急車が来ていれば」との思いが消えない。今年6月、「死んだのは救急車が来なかったから」と市に1000万円の賠償を求め提訴した。
母親は新盆を終え、訴訟に臨む。「祐映のような思いをする人が二度と現れないよう救急体制のあり方を見直してほしい。」
毎日新聞 - 8月24日(金)16時57分)

人が一人死んでいる。
自治体がどれほど正当性を主張しようと、その事実は変わらない。