実は愛知県の誇りなんだよ

<稲葉2000安打>稲葉 重圧から「解放された」
◇「Vへこつこつ頑張っていく」
すべてが稲葉らしい。そう言うほかない2000本目だった。
一回2死一、二塁。カウントは3ボール。1球待っても良いところだが、持ち味であるリストの力をしっかりと伝える引っ張りで直球をとらえ、右前に運んだ。全力疾走で一塁を駆け抜けると、歓喜の表情を浮かべることなく、「点数が入るかどうか気になった」と視線は本塁へ。二塁走者だった田中がクロスプレーの末にセーフになると、初めて相好を崩した。
法大時代、脚光を浴びる存在ではなかった。ヤクルト入団後は「24時間、室内練習場でバットを振っている」と評されたように練習の虫になった。元々は内野手だが、初挑戦の外野守備をものにしようと、フリー打撃の際は必ずと言っていいほど守りに入り、技術を磨いた。
05年、米大リーグ挑戦を目指すが入団先が見つからず、日本ハムにFA移籍した時は32歳。異なるリーグでの挑戦と、難しい条件がそろっていたが、さらなる努力で自分を高みに引き上げた。パワーピッチャーの多いパに対応しようと、スイングのトップの位置を捕手寄りに動かす打撃改造に挑戦。効果はてきめんだった。ヤクルト時代の10年間は通算2割8分4厘だった打率が、日本ハムでは通算2割9分5厘(11年まで)に上昇。07年には首位打者最多安打のダブル受賞を遂げた。
2000安打まで残り34安打で、不惑を迎えるシーズンを迎え、わずか25試合で到達した。「いろいろなことからようやく解放された」(稲葉)という通り、すさまじい重圧もあったはず。ハイペースでの記録達成は「いつも自分が一番下手だと思ってやっている」という謙虚な姿勢あってのことだろう。
試合後、稲葉はこう語った。「優勝できるようにこつこつ頑張っていきます」。努力の末に大記録にたどりついた男に、これほどふさわしい言葉はなかった。
毎日新聞 - 4月28日(土)21時18分)

イチローで有名になった、空港バッティングセンターの先輩だったりします。
スワローズ時代から、「なぜもっと使わないんだろう」と思ってみていた選手ではありましたが、これほど偉大なプレーヤーの仲間になるなんて、ねぇ。
おめでとうございます。