まだ現役だったんですか????

辰吉丈一郎に直撃! 逆境に負けない生き方とは
90年代に3度の戴冠を果たしたカリスマ・ボクサー、辰吉丈一郎。ラスト・ファイトから2年が経ったが、4度目の王座獲得を目指して現在も奮闘中だ。「大事なことは自分をあきらめないこと」。数々の挫折を乗り越えてきた41歳は、私たちに力強く語りかける。
髪や髭には白いものが目立つ。5月15日で41歳になったのだから当然だ。同じ時代を駆け抜けたライバルたち――薬師寺保栄鬼塚勝也らは10年以上も前にグローブを壁に吊るし、今はジム会長として後進の指導に当たっている。
しかし、辰吉は今なお現役に強いこだわりをみせている。
実戦からは2年ほど遠ざかってしまったが、ボクサーの基本でもあるロードワークは欠かさず、連日のジムワークも精力的にこなしている。食事制限を続け、今も20代の時と同じ57kg〜58kgを保っている。目標は日本人が誰も成し遂げていない4度目の世界王座獲得だ。「夢のような話だ、不可能に近い話だという人がいることはわかっているけれど、それは他人がそう思うだけのこと。ボクは違った尺度や考え方を持っているからね。人生は障害物競走みたいなもので、ゴールはひとつだけじゃないし、いろんなゴールがあるから、それぞれが自分のゴールに向かって進んでいけばいいんじゃないの?ボクの場合は目の前にチャンピオンベルトがある。それを奪い取るためにボクシングをやっている、それだけなんよ。やめるんなら自分の意思でとっくの昔にやめているよ」
辰吉の半生は波瀾に富んだものだ。中学卒業後に上阪し、アマチュアを経て19歳でプロデビュー。わずか8戦目、21歳の若さで世界タイトルを獲得したが、その後は浮き沈みの激しい20年を送ってきた。「もう辰吉は終わった、引退したほうがいいという外野の声は耳に届いていたけれど、自分では限界だなんて思ったことは一度もない。自分で自分をあきらめた時が本当の終わりで、あきらめなければチャンスは必ずやってくるもんよ」
辰吉は独特のプラス思考の持ち主でもある。「真っ直ぐに人生のレールが敷かれていたら面白くないでしょ?
ボクが歩いている道は遠回りかもしれないけれど、遠回りにはそれなりの景色があるんですよ。誰も見たことのない景色がね。誰も行ったことがない、誰もやったことがない、それをやり遂げることにボクは大きな価値を感じているんですよ」
今、辰吉は人生において何度目かの、そして最大の窮地に立たされている。日本ボクシングコミッションが定めるボクサーの“定年”37歳を超えているため、選手ライセンスの更新ができないのだ。日本国内での試合に出場することが不可能となっているのである。
WBCも再三にわたって引退を勧めてきた。トリプル世界戦の際、会場ではモーリシオ・スライマン副会長が直々に辰吉を訪ね「WBCの殿堂入りを約束し、功績を讃えて4つめのベルトを贈呈する」という垂涎の条件を提示して引退を勧めたほどだ。
もちろん辰吉は首を縦に振らなかった。「チャンピオンベルトは欲しいけど、もらいたいわけじゃないからね。それでは意味がない。欲しいものは自分の力で奪い取ってみせるから大丈夫」
41歳のカリスマ・ボクサーは力強く宣言する。「ボクはやめ方も知っているし、やめる場所も、やめるタイミングも分かっている。ただ、その時期が来ていないだけ。もう一度世界チャンピオンになる目標があるし、やる自信もある。一度だけの人生、自分の道を自分の好きなように生きてみたい。転んだら起きればいい、失敗したら次に頑張ればいい。それがボクの生き方なんよ」
PROFILE●たつよし じょういちろう
1970年5月15日、岡山県倉敷市生まれ。アマチュアで19戦18勝(18KO)1敗後、89年9月にプロデビュー。4戦目で日本タイトル、8戦目でWBC世界バンタム級タイトルを獲得。眼疾によるブランクや王座陥落など挫折を繰り返したが、97年に3度目の戴冠を果たす。4度目の戴冠を目指して41歳の現在も活動中。戦績は28戦20勝(14KO)7敗1分。
(DIGITAL DIME - 6月20日(月)11時14分)

あえて定年を設ける必要なんかないだろう、という意味では辰吉氏に賛同できる面もある。
ただ、そこに至るまでの試合内容とか、そういうのを見てると、引退勧告をされてしまう理由もわかる気がする。
まして、JBCが、37歳のラインを引っ込めるとも思えないし、実戦のブランクが2年もあっては・・・