こちらはすばらしい幕切れ

ソフトバンク優勝!!秋山監督涙こみ上げた!最終戦で舞った!
楽天8―3ソフトバンク(26日・Kスタ宮城) 秋山監督が仙台の夜空に6度舞った。優勝マジック1で今季最終戦楽天戦(Kスタ)に臨んだソフトバンクは、デーゲームで西武が日本ハムにサヨナラ負けしたため、1リーグ時代を含めて7年ぶり16度目(ソフトバンクとしては初)のリーグ優勝を決めた。指揮官は王貞治前監督(70)=現球団会長=から引き継ぎ、就任2年目でリーグ制覇を果たした。日本シリーズ出場へ向け、10月14日から本拠地・ヤフーDでのクライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージに挑む。
信じていた。一塁ベンチを出ると、秋山監督の視界は広がった。歓喜の胴上げだ。「疲れました…。本当に長い144試合だった。最後まであきらめない。この気持ちが一番でしたね」。今季最終戦で決めた、7年ぶりのリーグ制覇。ナインの手に身をゆだね、6度、仙台の夜空を独り占めにした。
「西武が負けた!」。午後6時44分。3回の攻撃中、スタッフが大騒ぎした。真っ先に親友の高山投手コーチと握手。右手で、ガッツポーズをつくった。目が潤んだ。試合は敗れたが、「OK、お疲れ」と息をついた瞬間、2年前のことが次々と頭に浮かんだ。
2008年10月8日。王前監督から大役を引き継いだ。球団から同じ背番号「89」を打診されたが「81」を選択。「現役で1をつけてた。指導者としても1番になりたい」。恩師の故・根本陸夫氏がダイエー監督時につけた同じ背番号で、荒波に身を投じた。
昨年4月3日の開幕戦(対オリックス)。両親とともにヤフーDの一室に呼ばれた。「僕の野球を捨ててもらっても構わない。やりたい野球、自分のカラーを出しなさい」。王会長の熱い言葉に勇気をもらった。
就任1年目は前年の最下位から3位。だが、CS第1ステージで楽天に連敗した。大一番で松中、多村の軸を欠き、負ければ監督の責任と痛感した。「過去の実績、名前は関係ない。力のある人間が残っていく世界」。その象徴が松中の起用だった。
4月28日の楽天戦(ヤフーD)。第1打席で空振り三振した際、ある決断を下した。打率1割9分7厘、2本塁打、10打点の不振にあえぐ大砲を試合後、監督室に呼んだ。「軸となるべき人間が自信をなくしている。そんな姿を見せちゃ絶対にダメだ」。レギュラーに定着した99年以降、故障以外でファーム落ちがなかった04年の3冠王に有無も言わせず、2軍降格を通告。就任2年目で初めて鬼になった。
「1年1年が勝負。ダメなら次はない。そう思ってやってきた」。3年契約の2年目だが、成績が伴わなければ辞任する覚悟だった。
類を見ない大混戦。肉体は悲鳴を上げた。現役時代からボルトが入ったままの腰は痛んだ。体重もベストから4キロ減の85キロ。趣味の筋トレもやめた。眠れぬ夜はアルコールの力を借り、胃腸薬も頼った。「もう、バック宙なんかできないよ…」。ボロボロだったが、闘志だけは衰えなかった。
完封負けを喫した今月16日のロッテ戦(千葉)。西武の優勝マジックは「4」に減った。試合後、球場の一室に選手、コーチ、スタッフ全員を集めた。「可能性がある。俺は絶対にあきらめんぞ。プライド、意地を見せようや!」。今季4度目で最後の全体ミーティングで放った言葉が、奇跡の扉を開いた。
残り6試合、3・5ゲーム差という絶望的な状況で迎えた18日から、本拠地で行われた西武との3連戦で3連勝。23日のロッテ戦(ヤフーD)で単独首位に立つと、一気にゴールテープを切った。摂津、ファルケンボーグ、馬原の方程式を確立し、守り勝つ野球を目指した。チーム盗塁数(148)は2年連続で12球団トップ。現役時代と同じ「走攻守」そろった集大成だった。
一昨年に最下位が決まり、昨年はCSで敗退した因縁の地。ソフトバンクとして初の頂点だ。「今年こそは、という気持ちが強かった。全員で勝ち取った優勝。また、日本一を目指してやっていきたい」。常に1番にこだわり続け、選手時代に西武で8度、ダイエーでは2度優勝した。「2010・9・26」。指揮官は生涯忘れない美酒を味わった。


◆秋山 幸二(あきやま・こうじ)1962年4月6日、熊本県生まれ。48歳。八代高から80年ドラフト外で西武入団。87年に本塁打王、90年に盗塁王を獲得したほか、85年から9年連続で30本塁打以上をマーク。93年オフにトレードでダイエーに移籍。02年に引退。通算成績は2189試合出場、2157安打、437本塁打、1312打点。05年にソフトバンク2軍監督に就任、06年に1軍の野手総合コーチに昇格。08年からチーフコーチ、同年10月に監督就任。
ソフトバンク球団史 1938年に南海電鉄を経営母体に創設。44年に近畿日本、46年に近畿グレートリングと改称し、47年から南海ホークス。1リーグ時代に2度優勝。73年までに10度のパ・リーグ制覇(日本一2度)。88年秋にダイエーが買収して本拠地を大阪から福岡に移した。93年に福岡ドーム(現ヤフードーム)が完成。95年から王貞治監督(現会長)が指揮し、99年にダイエーで初優勝、日本一にも輝く。翌年もリーグ制覇したが、長嶋茂雄(巨人終身名誉監督)率いる巨人との日本シリーズは敗れた。03年は再び日本一。球団買収により05年からはソフトバンクとして参戦。王監督は08年限りで退任し、秋山監督が就任した。球団オーナーは孫正義氏(53)。
(スポーツ報知 - 9月27日(月)8時0分)

僕の中ではホークスって、ものすごい強いイメージしかなくって、そんなに優勝から遠ざかっていたことが意外だった。
ライオンズには残念な結果になってしまったけど。
ホークスと、そのファンの方々に。
おめでとうございます。