平和って、なんなんでしょうね

フセイン元大統領死刑 独裁の全貌、闇に 中東民主化さらなる課題
イラクで四半世紀にわたり強権体制を敷いたサダム・フセイン元大統領が30日、死刑確定から4日後に処刑された。独裁者の罪を暴き、戦後イラクの国民融和を図ろうとする裁判だったが、裁判自体の公正さを疑問視する声がなお消えない中、刑の執行を急いだことで、旧フセイン政権による数々の犯罪の真相も闇に葬られる可能性は高い。“独裁の病理”を克服し未来を目指すイラクにとって、今回の死刑執行は新たな一歩になると同時に多くの課題を残した。

2003年春のイラク戦争フセイン政権から解放されたイラクにとって裁判は、その残虐性で恐れられた旧政権の犯罪の全体像を明らかにし、「民主国家」の建設に向かうための重要なステップだったことは間違いない。しかし、処刑の根拠となったのは、1982年のイスラムシーア派による元大統領暗殺未遂事件に対する報復として起きたドゥジャイル村の148人の殺害事件だけに終わった。

イラク高等法廷は、公判中である80年代のクルド人虐殺事件(アンファル作戦)で他の被告に対する審理は継続するとしているものの、北部クルド住民に化学兵器を使用したとされる88年のハラブジャ事件、90年のクウェート侵攻、91年の湾岸戦争後に蜂起した南部のシーア派住民弾圧といった大きな事件は解明されなかった。イラン・イラク戦争(80〜88年)ではイラン封じ込めのために旧フセイン政権を後押しした米欧との関係などが裁判で明らかにされることもなくなった。

だが、今回の裁判で最も大きな影響を残すとみられるのが、公判から処刑に至る過程で、現政権の主導権を握るシーア派勢力が、フセイン独裁政権の「負の遺産」の清算より「報復」を急いだようにとれる動きを示したことだ。

ドゥジャイル事件の公判では、フセイン被告に好意的な言動をしたとして裁判長が事実上、更迭されたのを始め、マリキ首相は11月5日の死刑判決直後に「年内処刑」の見通しを明言、つねに政治の影がつきまとった。

しかも、30日はイスラムスンニ派の巡礼月の大祭「イードルアドハー(犠牲祭)」の初日。この日は羊などの動物を屠って神に犠牲をささげる神聖な日だ。シーア派の大祭は1日遅れて31日から始まる。政権内でも「犠牲祭中は避けるべきだ」といった異論が出る中、首相は30日の処刑に踏み切った。アラブ世界の大勢を占めるスンニ派にとっては「挑発」とさえ映ったはずだ。

フセイン元大統領はもはや“過去の人”であり、スンニ派武装勢力に対する実際の影響力はすでに失っていた。しかし、シーア派スンニ派の宗派抗争が泥沼化する情勢の中、現政権に強い不満を抱くスンニ派勢力が元大統領を「殉教者」に祭り上げ、宗派抗争がさらに激化する恐れは強い。

マリキ首相が年内の死刑執行にこだわった理由は明らかではないが、1月早々にもブッシュ米政権が発表する予定のイラク政策見直しとの関連を指摘する向きもある。

ドゥジャイル事件の裁判の公正さについては、国連や人権団体が「深刻な欠陥」を指摘し、スンニ派勢力が「報復裁判」「米国のための裁判」などと批判する。これら批判を封じるためには、国際社会の多くが納得する公明正大な裁判で旧フセイン政権の犯罪の全容を暴いたうえで刑を執行する必要があったはずだ。

だが、シーア派の思惑ばかりが先走った感のある「フセイン裁判」の顛末(てんまつ)は、イラクの「国民和解」や真の民主化の道が遠いことを浮き彫りにした。「中東民主化」の夢を掲げてきた米政府にとっても、長い目で見ると悪い影響を与えそうだ。
産経新聞 - 12月31日8時0分)

こういう政治的独裁者が死刑になることは、早かれ遅かれ避けられないのは事実なんですが、年内に執行する必要があったかということはちょっと「?」は残る。
アメリカは、ベトナム戦争の教訓を忘れてしまったのかなぁ・・・
現地人を拳銃で射殺するフィルムが、一気に国際世論を敵に回して戦局が傾いたのをすっかり忘れてしまったのか、それとも一時期は政治的に利用した関係があったことを明るみにしたくないから「始末」しただけなのか・・・
いずれにしろ、アメリカという国に対しての印象が悪くなったのは、間違いないと思います。