確かに、思いのほかよかったのは事実だが・・・

やっぱり、音楽で心に残るものがないと、辛いね。


常々書いていることではあるが、1回コンサートを行うのには、家庭の消費電力2年分の電気を食う。
それは、ドームライブであろうが、ホールライブであろうが、極端な差はないだろう。
Zeppなどは、使用電力に「グリーン電力」を用いるなど、環境に配慮したものになってきてはいるが、公共のホールではそこまで行かないのが現実だ。
だとすれば。


それだけの電気を使って、訴えたいこととは何か?
そこに主義はあるか?
メッセージはるか?


当然、そんなものはなかった。
終わった後、そういう意味での満足感はない。
ただ、35,000人いるファンのうち、8,000人が集結しているのならば、やっぱりそれは脅威だ。
だから、僕も考えなきゃならない。


「人類の未来がかかっているから、化石燃料を使うのはちょっとやめにしないか?」と言っても伝わらないのなら。
「君たちがが楽しいと思っているこの空間は、電気がないと作れないんだ。楽しむために、ちょっと協力してくれないかな?」と言えばわかりやすいのだろうか。
そうすれば伝わるのなら、この際理想はどうでもいい。
実が取れるなら、結果が伴うなら、この際やむを得ないのだろうか。


3時間半、ずーっとそんなことを考えていた。


同時に、音楽で気持ちが揺さぶられたわけじゃないということは、そこに行かなければ何も知らないわけで、それは今の僕のスタンスとはぜんぜん違う。
にもかかわらず足が向いてしまったのは何故か。


終演後、わかった。
1年半ほど会っていなかった。
でも、そこでは、僕は「待たれているVIP」だった。
僕は、その空間にいる限りは、「天才アジテーター」であり、「スーパースター」だ。


人を一ひねりで操ってみせることは、悪魔的な快感だ。
そう。
その意味で、何千人に「ついてこい!」と言えてしまう、悪魔のような振る舞いと言動は、発している人間の気持ちがわかってしまうんだ。


・・・・絶対に正しくないとわかっていながら、自分もその瞬間、悪魔に魂を売っている。
ひとりになって、暗示が解けて、正気に戻ったとき、激しい自己嫌悪に陥るのだが・・・・


それですら、秋葉原の暗黒空間よりはマシなのかもしれない。
いや、絶対マシだ。
より重い罪を食い尽くす前に、軽い罪を皿ごと食って満腹にした。
多分そうなんだ。