これは「殺人事件」。

一橋大・ゲイとばらされ亡くなった学生 遺族が語った「後悔」と「疑問」
BuzzFeed Japan 8月13日(土)13時34分)


最高に信頼していた。そして、好きだと告げた。その同級生に「あいつはゲイだ」とLINEで言いふらされた。一橋大学ロースクールに通っていたAくんは苦悩の末、校舎6階から落ちて亡くなった。Aくんは25年の人生をどう過ごしたのか。なぜこの事件が裁判にまでなったのか。遺族に思いを聞いた。
BuzzFeed Newsは愛知県内のAくんの実家を訪ねた。物腰柔らかな父親と、上品な母親。意志の強そうな目をした妹さんが出迎えてくれた。
整理整頓が行き届いた家。まず、仏間でAくんの位牌に手を合わせ、焼香をした。案内された居間の椅子に腰掛けると、犬がするりと寄ってきて足元に寝そべった。


◆穏やかな笑顔
Aくんが大勢の友達に囲まれ、人生を謳歌していたころの記憶を語ってもらった。
中学のとき、おしゃれに目覚めた。ギターやアメフト、囲碁……いろいろなものにのめり込んだ。オーケストラでチェロを演奏していた。他人の良いところを見る性格だった。
女性から慕われることも少なくなかった、と妹は言う。なんで彼女を作らないのか、不思議に思った時期もあったそうだ。
花見や花火、宴会を計画するのが好きなお祭り男だった。中央大学での最初の一年は、遊びすぎて単位を落とした。みんな野菜不足だからと自分でサラダを料理して、キャンパスで100円で売ったりもした。
落ち着いた両親と年子の妹、ペットに囲まれ、愛情いっぱいに育ったのだろう。大学2年のときのアメリカ旅行の写真で、Aくんは穏やかに微笑んでいる。
正義感が強く、これだというものに情熱を注ぎ込むAくんが目指したのが弁護士だった。学部2年の春、司法試験サークルに入ると、一心不乱に勉強した。サークル部長にもなり、切磋琢磨する仲間たちとは親友になった。
「こんな親に似ず、しっかりとしていました」。父親は少し照れながら、そう話した。


アウティング
仲間たちと一緒に目標に向かって、充実した人生を送っていた。あの事件までは。
家族によると、Aくんの遺書や残されたメッセージなどから浮かんだ事件の経緯は、以下の通りだ。
2015年春、一橋大学ロースクールで出会った同級生Zくんに、Aくんは「好きだ、付き合いたい」と告げた。Zくんの答えは「付き合うことはできないけど、これからもよき友達でいて欲しい」。Aくんは「ありがとう」「悲しいけどすげー嬉しかった」と返した。
だが、約3カ月後の6月24日、Zくんは同級生たち9人でつくるLINEのグループチャットで、「おれもうおまえがゲイであることを隠しておくのムリだ。ごめんA」と暴露した。
同級生たちに告げるつもりはなかった秘密を、友達だったはずのZくんにバラされた。そのショックにAくんは打ちのめされた。
自ら望んで同性愛者だと告白することを「カミング・アウト」という。一方、同性愛者だという秘密を他人にばらされることを「アウティング」という。
同性愛への偏見がある社会でのアウティングは、人の一生を左右することもある危険な行為だ。まさに、今回がそうだった。


◆母親が気づいた異変
母親がつとめて、冷静に語る。
LINEでの親子のやりとり。母親は6月24日以降、既読にはなるけど返事がないな、と気にかけていた。そっけない息子だが、いつもなら「ありがとう」「おやすみ」ぐらいの返信はある。
明らかな異変が、7月上旬にあった。「来世はxx(ペットの名前)かな」というLINEのメッセージが届いた。
意味がわからないーー。母親は心配になり電話した。
息子は泣きながら、「親友に裏切られた」とZくんの名前を口にした。母親が「裏切るような奴は親友ではない!」と励ますと、少し落ち着いたようだった。帰省を勧めたが「すぐ帰りたいけど、授業がある」。「眠れない」というので、心療内科を受診した方がいいとアドバイスした。
7月中旬、2泊3日で実家に帰った息子は、ひたすらパソコンに向かい、大学院での模擬裁判の準備をしていた。勉強の合間、なぜ裏切られたのかを聞いても「ひき逃げにあったようなものだ」としか答えない。

Zくんとの間に何があったのか。その詳細については言いたくなさそうな雰囲気だった。大学の相談室へも「自分で訴える」と言っていた。


◆「今日はZがいないから大丈夫」
Aくんは、母親にこう語っていた。
Zの自転車は目立つ。見ただけで吐いてしまい、家に逃げ帰ったり、建物の陰に隠れたりしている。そんな自分が辛い。なぜこんな思いをしなくてはならないのか。腹立たしいし、悲しいーー。
8月上旬、民事の模擬裁判をAくんは欠席した。原付で大学に着き、教授や友人と会ったところで、体が硬直し、息ができなくなって吐いた。「このまま原付では帰せない」と、大学関係者に鍵を取り上げられた。
「模擬裁判を休んだ人は今までにいない。卒業できないかも」と言われ、とても落ち込んだ。学校へは「今日はZがいないから大丈夫」とメールをもらってやっと登校できる状態になった。授業に出席しても、トイレで吐いていた。
盆休みは10日ほど実家で過ごし、旧友たちとも会っていた。授業に出るため、8月21日に帰京した。
「無理にでも付いていけばよかった……」。そう語る母親の目から、涙がこぼれ落ちた。
やりきれない沈黙が、部屋を満たした。


◆最後の連絡
8月24日は、刑事の模擬裁判の日だった。もう休めないというAくんを、母親がモーニングコールで起こした。「薬を必ず持って行きなさい」「学校に入れなければ帰宅しなさい」と伝えた。
学校に行ったAくんからは午後2時すぎにLINEで、「吐いてしまい保健センターで寝ている」と報告があった。
今度、親を交えてカウンセラーと一緒に話をすることになったので、よろしくーー。
それが、Aくんから母親への最後の連絡になってしまった。Aくんが校舎6階から落下したのは、その1時間後のことだった。


◆目撃者は
午後3時ごろ、転入試験を受けに来たある学生は、空からぽとりとクツが落ちてきたのに気づいた。なんだろう。見上げると、ベランダからぶら下がっているAくんがいた。
大急ぎで通報した。ベランダに掴まっているAくんに「がんばれ」と声をかけた。Aくんはしばらく耐えていた。だが、ついに力尽きた。受け止めたくても、6階は高すぎる。その学生にはなすすべもなかった。
遺族は、「自殺」と言いたがらない。「息子は、最後まで生きようとしていた」と考えているからだ。


◆なぜ訴訟まで?
亡くなった翌日、両親は大学に説明を求めた。その場で大学側は、こんな風に話を切り出した。
「ショックなことをお伝えします」「息子さんは、同性愛者でした」。
静かに聞きつつ、父親は腹の中が煮えくり返る思いだった。
「同性愛だから何だって言うんですか。確かに知らされてはいませんでしたが……。何が『ショックなこと』だ」
母親には、思いあたる節がないわけではなかった。高校時代、同級生の親から「息子さんがゲイと言われている」と告げられたことがあった。息子の部屋を掃除していて「アレ?」と思うようなものを、見つけたこともあったという。
「だから、もしかしたら、と思っていました。ただ、本人に直接聞いたりはしませんでした。親が干渉することではないと思っていたんです」
妹は後悔を隠さず、涙ぐみながら話した。
「女が好きでも、男が好きでも、そんなことはどうでもいい。ただ、言える環境を作ってあげられなかったことを、後悔しています。苦しめたのかなって」


◆遺族の思い
息子はなぜ、ここまで追い詰められたのか。それを知りたいと、遺族は何度も学校に問い合わせた。
「息子が、大学のハラスメント窓口に何を訴えていたのか、記録をみせてほしい」
「亡くなった日の分も含め、保健センターでの相談記録をみせてほしい」
だが、大学は「公務員あるいは医師の守秘義務の保持の観点から開示はお断りします」と言ってきた。
クラスメイトに事情を聞きたいという要望には、「教育的見地から面談はお差し控えくださるよう希望いたします」。
そして、一度は「自宅に説明に伺う」と言っていたのも「撤回します」と告げてきた。
両親は愕然とした。プライバシー情報は、本人が生きているなら、親でも見せてもらえないのはわかる。しかし、亡くなった息子のことを親が知りたいと願った時に、この対応はなんだ。
「こんなのは、まるでクレーマー扱いじゃないか」

◆残された「文書」
遺族は、裁判をするための「証拠保全」という制度を使って、大学に残っていた文書の一部を手に入れた。
さらに、A君がパソコンの中に保存していた文書にも、事件のことがいろいろと書いてあった。遺品を整理していた妹が、パソコンの「今回」というフォルダの中に、いろいろな資料がまとめて入っているのを見つけた。
「いつでも訴えられるよう、準備をしていたのでしょう」
ZくんがアウティングをしたときのLINEの画面も、そのフォルダに保存されていた。


◆直筆のメッセージ
Aくんは8月に、大学のハラスメント委員会にZくんの行為を申し立て、書類を出していた。その中で、Zくんが「ゲイだ」と同級生たちにバラしたこと。その後、机をバンバンと叩きながら名前を呼んだりした行為が「ハラスメントに当たる」と訴えていた。
Aくんがこう考えた背景を補足する。
ZくんがLINEでばらした相手は7人。その中にはAくんに「Zの持ってる兵器はAにとってものすごい破壊力を持つものだとおもうから、ここはAの方が大人になって、ぐっとこらえよう」とアドバイスをしてくる人もいた。
つまり、これ以上ゲイだとバラされたくなければ、我慢しろ、ということだ。
ゲイだという話がこれ以上広まる事態を、Aくんは心の底から恐れていた。
弁護士業界は狭い。人口4万人未満の町のようなものだ。誰がどこで何をしているか、サイトで検索すれば瞬時にわかる。ロースクールの元同級生とは、裁判所や弁護士会館などで、日常的に顔を合わせてもおかしくない。裁判の相手として、戦わなければならない場合すらある。
書類には、さらに以下のような記述がある。
「あなたの今の気持ちはどのようですか」という欄。
「毎日が苦痛です。この件について考えないようにと、周りの人は助言をしてくれるが、何をしていても、アウティングされてしまいどうしようという気持ちや恨みに思う気持ち、悲しいと思う気持ち、助けてくれる周りの人への申し訳なさが順番に至り、ごちゃごちゃになったりという心境です」
LINEでアウティング被害を受けたとき、Aくんがなぜあのように返信したかの説明もある。
アウティング時には、憲法のテストの直前で、絶望的な気分になりましたが、とぼけることしかできず、『たとえそうだとして何かある?笑』『これ憲法同性愛者の人権来るんじゃね?笑』と返信せざるを得ませんでした」


◆なぜハラスメントと考えるのか?
Aくんは綴っている。
自分がゲイだということは、限られた人にしか伝えていなかった。そして、アウティングのあったLINEグループのメンバーたちには、それを告げるつもりはなかった。
グループの中でも、1人以外の人からは、本心ではないにしてもマイノリティーの人に対する偏見の言葉を聞いたことがありました。具体的には、「生理的に受け付けない」等の言葉です。
だから、告げるとしても、友達として去られることを覚悟した上で、自分のタイミングで話したいと考えていた。
A君は続ける。
「個人のどうしても知られたくない事項を、本人の意思に基づくことなく広められたことにより、耐えがたい苦痛を感じる」
「私のプライバシー権が侵害された状態であると考えています」
だが、8月8日にこの文書を書いた時点で、AくんがZくんにして欲しかったことは、一つだけだった。
Aくんは、相手に求めることの欄にこう書いた。
「謝罪」


◆同級生たち
遺族の話に戻そう。
遺族がもう一つ、残念に思っているのが、アウティングをしたZくんから、今に至るまで一度も連絡がないことだ。葬儀や法要への出席どころか、手紙、メールでのお悔やみの言葉すらもない。
アウティングにかかわった同級生たちからの連絡もない。彼らの中には、A君の実家を訪れたことがあり、遺族と面識のある人もいる。しかし葬儀、四十九日、その後も姿を見せていない。
アウティングにかかわった同級生たちからの連絡は、2回だけあった。
1回目は、ひきはらうアパートで遺品整理をしていると「Aくんに貸したスターウォーズのDVDとプレイステーションを返して」と、学外の友人を介して連絡があった。お悔やみの言葉すらなかった。
もう1回、今年3月に、法科大学院の修了の報告があった。そこには「Aくんと同じ大学院生活を過ごした日々は本当に楽しかったです。魂が少しでも安らかなものとなってもらえればと思います」などと書かれていた。だが、これもLINEを経由して学外の友人を介して届いたもので、無記名で誰が書いたかわからないという。
もちろん同級生も友人を亡くし、ショックを受けているだろう。友だちのZくんに遠慮する気持ちもあるのはわかる、と両親は話す。
だが、「それにしても、どうなっているんだ」というのが、家族の偽らざる思いだ。怒りと呆れがないまぜになった、そういう感情もこの訴訟には込められている。


◆膨らんできた疑問
情報が揃ってくるにつけ、遺族に膨らんできたのが、「これは防げたのではないか」という思いだ。
妹は率直に指摘する。
「兄が死んだあとも、大学は遺族に説明もしない。調査もしない。再発防止のための取り組みもしない。こんな対応でいいんでしょうか」
Aくんの代理人をつとめる南和行弁護士は、こう話す。
「Zくんが同級生のLINEグループでアウティングをしたのは、ZくんがAくんを遠ざけようとしたからです。これは『いじめ』の構造です。学校はまずZくんに『いじめ』をやめ、アウティングについて謝罪するよう指導すべきでした。それなのに大学は、あたかもこれがAくんの心の問題であるかのような対応をしてきました」


◆「人知の及ぶところではない」
Aくんの遺族は裁判で、大学に対して200万円。Zくんに対して100万円の損害賠償を求めている。
Zくん側の反論は、おおよそ次のようなものだ。
LINEグループでの発言は、プライバシー侵害にはならない。仮にプライバシー侵害だったとしても、Aくんの精神的苦痛とは関係ない。アウティングには、正当な理由があるので違法性がない。
そして、一橋大学は、裁判で次のように述べ、責任を否定している。
「Aの死は突発的な自殺行為によってもたらされたものであって、被告大学の様々な配慮にもかかわらず防止することができなかったことは遺憾ではあるが、人知の及ぶところではない」

非常にお気の毒だとは思うが、亡くなったことで、「司法試験で自分が落ちる確率が若干少なくなった」と、死を喜んでいる・・・といったら言い過ぎかもしれないが。
一橋大学側も、「不名誉」と考えているからとにかくもみ消したいと思ったのだろう。
きっとこれが現実で、良心の呵責など何も誰も感じてはいないと思う。