人種差別に勝った

「イジメ」「逆風」に屈しなかったイチローのスゴさ
ITmedia ビジネスオンライン 3月24日(木)7時8分)


マイアミ・マーリンズイチロー外野手がメジャー16年目のシーズンで金字塔を打ち立てる可能性が高まっている。メジャー通算3000本安打まで残り65本。達成すれば、史上30人目の快挙となる。
これまで積み上げてきたメジャー通算2935本安打は現役選手の間でも、3070本を放っているニューヨーク・ヤンキース主砲のアレックス・ロドリゲス内野手に次いで2位。日米通算でカウントすれば、メジャー通算最多安打を誇るピート・ローズ氏(シンシナティ・レッズなどでプレー)の4256安打にもあと43本にまで迫っている。今年で43歳を迎える「超人」には、ただ敬服するしかない。
これまでもイチローは数々のメジャー記録を更新してきた。2004年にはシーズン最多安打記録の262本をマーク。2001年から2010年まで10年連続でシーズン200本以上の安打を放ち、それまで「10回」で1位だったピート・ローズ氏に並んでタイ記録となった。シアトル・マリナーズ時代に築き上げたこれらのイチロー伝説の1ページに、今季もまた新たな偉業が加筆されようとしている。
それにしてもイチローの経歴をもう1度振り返ってみると、改めて驚かされる。日本プロ野球オリックス・ブルーウェーブでの9年間のプレーを経て27歳から日本人野手としては初のメジャーリーガーとなり、他の米国籍選手よりも明らかに遅いスタートであったにも関わらず驚異的な順応と進化を遂げ、次々とメジャー記録を更新していったのだ。ちなみに、その27歳でルーキーイヤーとなった2001年シーズンでは史上2人目となるアメリカン・リーグ新人王と年間MVPの同時受賞を果たしてもいる。人間離れと評するよりも、異次元レベルと言ったほうがいいかもしれない。
しかしながら、そのイチローも海を渡った直後は人知れず苦労を味わっていた。イチローのルーキーイヤー当時、マリナーズで監督を務めていたルー・ピネラ氏は「彼はさまざまなすさまじい困難に直面しながらも見えない努力を重ねることで、それを克服していた」と述懐している。
●日本人プレーヤーを見下す風潮が残っていた
日本プロ野球で幾多もの記録を作り上げ、日本を代表する野手であったものの移籍当初、メジャーリーグでの成功については米国の有識者やファンの間で否定的な声も少なくなかった。
「日本でやってきたことがメジャーリーグで、そのまま通用すると思ったら大間違いだ」「内野安打ばかり打つスタイルは、3A(メジャーリーグの下部組織)と同等の日本プロ野球だからこそできたこと」「あんな細く小さい身体で一体何を見せられるのか」――。これらは2000年11月19日にマリナーズ入りが決まった直後、米スポーツ専門局『ESPN』に寄せられて同局番組内で匿名を条件に公開された複数のメジャーリーグ球団のスカウティング担当者たちからのイチロー評だ。
しかもその当時、ESPN解説者で現役時代にレッズなどで投手として活躍したロブ・ディブル氏は同局のラジオ番組内において「日米の野球にはレベルの差があるからイチローメジャーリーグで成功することは有り得ない」と断じたばかりか「彼が首位打者を獲ったらニューヨークのタイムズ・スクエアを素っ裸で走る。3割を超えても競泳用の水着で同じことをやると約束する」とまで言い切っていたほど。よくもここまで酷評できるなと逆に感心してしまうが、まだ当時のメジャーリーグはこういう具合に日本人プレーヤーを見下す風潮が一部に残っていた。
ロサンゼルス・ドジャースに移籍して道を切り開いた日本人メジャーリーガーのパイオニア野茂英雄氏が全米にトルネード旋風を巻き起こしてから5年が経過し、十分過ぎる実績を積み重ねていた。それにも関わらず「日本人は一流メジャーリーガーになれない」という概念のような妄想を自称“崇高な彼ら”は抱いていたのだ。そこには「日本人=黄色いサル」というようなタブーとされる人種差別的な要因が多少なりとも絡んでいたことは残念ながら否定できない。
そういう冷たい視線は当然、マリナーズに入団した直後のイチローに冷たく突き刺さった。アリゾナ州ピオリアで行われるマリナーズのスプリングトレーニング(春季キャンプ)に合流し、ここでチームメートたちと初めて顔合わせした時のこと。笑顔で手を差し伸べてシェイクハンドを求めてくる主力が大半だったが、中には無愛想な表情で目も合わせない選手も少なからずいた。
実際にこのころ、筆者は現地でイチローについてマリナーズの某選手から「まだメジャーリーグで何の結果も残していないジャ○プのくせに(3年契約の)1400万ドルももらいやがって。日本から来たオマエもヤツのサポーターなのか」と言い放たれている。複数人の他選手からもイチローに関する同じような陰口を何度か聞かされていた。
イチローを認めざるを得なかった
移籍当初、陰口をたたく一部のチームメートに、イチローはあいさつをしても無視されたり、舌打ちをされたりと今では考えられないような屈辱も受けていたという。メディアに開放される時間が終了した後のクラブハウス内では、彼を偏見の目で見る一部の選手同士が本人の見える前で輪になって集まり、ヒソヒソ話をするシーンも時に見受けられたと聞く。
つまり、その一部の選手たちはクラブハウス内に大勢集まっていた日本のメディアが立ち去るのを確認してから、一部始終を報道されないように見えないところでイチローに姑息な嫌がらせをしていたのである。まだ英語が満足に話せず自分が日本人であることで、この入団当時のイチローは陰湿な「イジメ」を受けていたのだ。
そういう意味で同じチームメートに日本人メジャーリーガーの先輩で「大魔神」ことチームの守護神・佐々木主浩氏が在籍していたことは、かなり精神的に助けられた部分もあったようだ。それでもイチローは佐々木氏やチームに属する他の日本人スタッフに頼り切るようなことはせず己の力だけで、この窮地を乗り切っていった。ピネラ氏は、次のように言う。
「スプリングトレーニング終盤になってくると、選手たちのイチローに対する接し方に大きな変化が現れてくるようになった。練習やオープン戦でウワサに違わぬ能力を見せ付けるイチローが徐々に本物であることが分かってきたからだ。そしてシーズンが開幕して、あの快進撃を見せられれば、もう誰だって彼にひれ伏すしかない。私は一部の選手が入団当初のイチローに否定的な考えを持っていたことも、もちろん知っている。でも、そんな一部の選手たちも最終的にはイチローを認めざるを得なかったんだよ」
結果としてイチローは、このメジャー1年目の2001年シーズンで打率3割5分をマークし、ア・リーグ首位打者に輝いた。小バカにしたり、嫌がらせまでしたりしていた一部のチームメートたちを実力で黙らせた挙句、あっと言う間に「キング」へと伸し上がったのだ。前出のディブル氏が同年のシーズン終了後にほぼ自身の公約通り、真冬のタイムズ・スクエアをパンツ一枚で5分間ほど走らされるハメになったのも、米国内の反イチロー派を一斉にシュンとさせる形になった。
●自分を“安売り”しなかった
イチローのスゴいところはチームメートたちに最初から自分を“安売り”しなかったことだ。精神的に弱い人間はのけ者にされると、どうしても相手に許しを乞うたり、頭を下げたりして仲間に入れてもらおうとする傾向が強い。
「私も、そういう選手をメジャーリーグの世界で何人も見てきた。しかしながらイチローは違った。それどころか彼は自分に一切の妥協を許さず、ただ野球で結果を出せば必ず流れがいい方向へ傾くと言い聞かせたのだ。驚異的な打撃や守備、走力などの技術面で周囲を納得させることができたのも、そういう彼の強い精神力があったからこそ。イチローのようなスーパープレーヤーはもう今後二度と現れないと思う」とピネラ氏は締めくくった。
今、チーム最年長プレーヤーでもあるイチローは“メジャーの生き字引”としてマーリンズの若手たちから崇拝され、目標とされる立場にある。今季も偉大な記録を打ち立てようとしているレジェンドの背中を我々もしっかりと見つめたい。ビジネスパーソンの方々にとっても、その生き様は大いに参考となるはずだ。

アメリカの闇は深い。
そして、われわれはいまだYELLOW。