セーブしてたのね

田原俊彦の娘が本名で活動再開 ジャニーズ主演ドラマに出演
(NEWS ポストセブン 12月31日(木)7時0分)


田原俊彦の娘で、2011年から「綾乃美花」の名前で活動していた田原可南子が本名で再スタートを切る。田原の娘であることを伏せて応募した『ミスマガジン2011』の準グランプリに輝き、2011年に芸能界入り。ドラマや映画に数本出演したが、現在までそれほど目立った活動はしていなかった。その理由が、12月17日に始めた公式ブログで明らかになった。


〈高校3年生のときにこの仕事を始めて、大学に上がったら仕事の幅も増えて、充実した生活を送るんだと思い描いていました。けど、いざ入学してみるとびっくり。出欠席が厳しすぎて…高校以上に大変なものでした。(中略)仕事もしたいけど、とにかく大学に専念。勉強。勉強〉(ブログより。以下〈〉内同)


大学で真面目に学業に取り組んでいたため、仕事との両立が思うようにはいかなかったようだ。そして、芸名から本名にした動機も明かした。


〈大学卒業。私にとってはすごく大きな区切りで、ここから新しい自分が始まると思ったんです。(中略)一番自分らしくいられるのがやっぱりこの本名なので。これが私の名前なので。よし!ここから頑張ろう!という気持ちを込めて、気持ちを入れ替え、気合いを入れ直すという意味でも このタイミングで本名で勝負していこうと決意させていただきました〉


2016年3月に卒業見通しの立った大学4年生の今、「田原可南子」として新たな一歩を踏み出すというわけだ。とはいえ、“大スターの娘”という看板だけで生き残れるほど、芸能界は優しい世界ではない。まして、近年は二世タレントが飽和状態となっている。果たして田原可南子はどうなるのだろうか。芸能記者が話す。
「ブログの決意表明を読む限り、かなりの芯の強さがうかがえます。なかには、何となく芸能界入りする二世タレントもいますが、彼女は違う。女子大生で〈ブレない芯を持つ。気持ちを強く保ち続ける。焦る気持ちに負けちゃいけない〉とはなかなか書けないですよ。正直、父親のインタビューを読んでいるのかと錯覚したほどでした。これらの言葉は、まさに父親の田原俊彦がデビュー以来持ち続けている心情と同じなんです」

父の田原俊彦は、押しも押されもせぬ1980年代のトップアイドルで、『哀愁でいと』『悲しみTOOヤング』などのヒット曲を連発。ドラマ『教師びんびん物語』も大ヒットさせ、ジャニーズ事務所の礎を築いた功労者である。1994年の同事務所独立以降は苦境に陥ったが、気持ちを切らすことはなかった。毎年シングルを発売し、コンサートやディナーショーを欠かさず行ない、それでいて自分の格をみずから下げてしまうような、目先のおいしい仕事は受けないという「ブレない芯」を持ち、「気持ちを強く保ち続け」たと言える。
その父親にならうかのように、娘の可南子もブログで〈入学した以上、この大学を卒業しなければ。今やることをやらなければ、と。家族や周りの人たちからの応援に助けられました。自分で選んだ道を途中で放棄するようじゃ、きっと今後も何も続かない。そしてこの経験も、いつか何かの役に立つ。そう信じて…〉などと綴っており、精神的なタフさを感じさせる。
「1980年代、田原俊彦は生存競争の激しい芸能界で女性アイドルの栄枯盛衰を間近で見てきました。その辛さがわかっているからこそ、娘が小さい頃から芸能界入りについて反対してきた。その壁も乗り越え、大学も中途半端にはせず、きちんと通って卒業した。強いハートを持っているうえに、ビジュアル面もデビュー当時と比べ、かなり大人っぽくなった。女優としての伸びしろもあると思います」(同前)
1月からは、Kis-My-Ft2藤ヶ谷太輔窪田正孝主演の深夜ドラマ『MARS〜ただ、君を愛してる〜』(1月24日スタート。日本テレビ系)に出演。女優として再スタートを切る。
「これまでは記者会見で、父親のことを聞かれたくないためか、マスクで登場することもありましたが、今後はそんなこともなくなるでしょう。ブログでは、〈パパのディナーショーがあってウエスティンホテルに〉などと父親のことにも頻繁に触れています。心機一転、吹っ切れた田原可南子は大化けする可能性を秘めています」(同前)

逆に言えば、事務所がプッシュしやすい環境が整ったとも言えるし、露出は増えるだろうな。