伝説が去る

<サッカー女子>澤、引退理由は「W杯活躍レベルにない」 
毎日新聞 12月16日(水)20時30分)

 
来夏に迫ったリオデジャネイロ五輪出場に意欲を示していたサッカー女子日本代表澤穂希選手(37)が16日、突然、引退を発表した。この日、神戸市内で行った練習後、所属するINAC神戸のチームメートに自らの言葉で引退を伝えた。クラブによると、選手らは神妙な面持ちで澤選手の言葉に耳を傾けていたという。
「みんなを引っ張れない。ワールドカップ(W杯)で活躍する一定のレベルに達していない」。澤選手は所属するINACの文弘宣会長(65)に、引退の理由をこう伝えていた。W杯、そして日本代表の座は、それほど特別な場所だった。
「サッカーが大好きでやってきた結果」でたどりついた今夏のW杯カナダ大会。全7試合で6試合に出場したが、先発は国際Aマッチ200試合目となった初戦のスイス戦など2試合にとどまった。決勝トーナメントに入るとベンチスタートが続く。カナダ入り後は、W杯前の国内合宿などで見られたコンディションの良さやプレーの切れが失われつつあるようにも見えた。
それでも、「試合に出ようが出まいが、チームのために戦おう」という気持ちはぶれなかった。控え組中心の練習では若手に積極的に声をかけ、準決勝では延長戦に備えて飲み物や氷袋を率先して準備した。決勝の米国戦は、前半から途中出場し、鋭い動きで相手の攻撃の芽を摘み、ゴール前で相手選手と競り合ってオウンゴールにつなげた。ただ、大会後は「悔いなくやりきった」と話す一方、「大きな大会に連れてきてもらった」とチームをけん引してきた選手らしからぬ言葉も漏らしていた。
カナダ大会の期間中、澤選手は「前回のドイツ大会に比べ満足のいくパフォーマンスはできていない」と言った。自ら思い描く“世界基準”に達していないと感じざるを得なかったのだろう。
もう一つ、引退への決断を加速させたのが今年8月の結婚だった。「幸せな家庭を築いて、子どももほしい」と話していた澤選手に、文会長は「本人も悩んだと思う。これまでサッカー一筋で身も心もささげてくれた。判断は尊重したい」とねぎらいの言葉を贈る。
残されたのは今月にある皇后杯の3試合。チームメートで日本代表の川澄奈穂美選手(30)は「大好きな澤さんの現役サッカー選手の最後を、最高の笑顔で迎えてもらえるよう、全員が一つになって戦って勝ちます」とブログに記した。
時に痛み止めを打ち、時にめまいに襲われながら、ボールを追い続けた20年あまり。現役最後の瞬間が来るまで、全力でピッチを駆ける。


澤穂希選手・語録

【2004年4月】北朝鮮に勝ちアテネ五輪出場を決め、「プレーで引っ張っていくので、そこから何かを感じ取ってほしい」

【08年8月】北京五輪の劣勢の試合の中で「苦しいときは私の背中を見て」。3位決定戦後に「ノリさん(佐々木則夫監督)にメダルをかけたかった」

【11年7月】W杯初制覇に「代表に入って18年。苦しいことはたくさんあった。厳しい道のりで長かった」

【12年8月】ロンドン五輪で銀メダル。「代表に入ってから目指してきたメダル。W杯の優勝と同じくらいの重みがある」

【15年5月】W杯代表発表。「少し泣きそうでした。正直、私自身、内心ドキドキしていた」

【15年7月】米国との決勝に敗れて準優勝。「本当に悔いなく、やり切ったという感じ。みんなよくやったし、チームの団結力を感じることができた」

【15年8月】結婚発表後に取材に応じ、「自分自身のメンタルを一番近くで支えてくれていた。この人と生涯一緒にいたら楽しいんだろうなと」。結婚後の登録名については、「自分の澤穂希というのは気に入っている。そのままいきたい」

【15年9月】結婚後、なでしこリーグ初戦となった新潟戦にフル出場し、「一日一日を悔いなく、楽しみながらやれたらいい」

ワールドクラスの選手が去るのは寂しいですが、お疲れさま。