ノーベル賞学者の素顔

ノーベル賞>梶田さん「消去法」で科学への道
素粒子ニュートリノの正体に迫り、ノーベル物理学賞の受賞が決まった梶田隆章・東京大宇宙線研究所長(56)は周囲を自然に囲まれた埼玉県東松山市に生まれた。漢字を覚えるのが苦手など、記憶より考えることが好きで、科学への道は「消去法」で選んだ。それでも、「謎を解明したいというこだわりは人一倍」という周囲が認める情熱の持ち主だ。
県立川越高を卒業後、埼玉大理学部に進学。高校、大学では弓道部に所属した。「研究者としてやっていけるのか試してみたい」と東京大大学院に進み、「何となく興味があった」という素粒子を研究テーマに選んだ。研究室の希望を出したのは、後にノーベル賞を受賞した小柴昌俊教授(当時)。そこで、2年先輩で、小柴さんが一目置く有坂勝史さん(現・米カリフォルニア大教授)と一緒に、岐阜県の旧神岡鉱山跡に建設された観測装置「カミオカンデ」で、素粒子の一つ「陽子」がどのように崩壊するかを突き止める実験に取り組んだ。
実験を続ける過程で、助手になった1986年、ニュートリノの観測数が理論的な予測と比較して大幅に足りないことに気づいた。それが今回の受賞理由となった「ニュートリノ振動」のためと推測した。「新しいことに取り組んでいる、というワクワク感で夢中になった」と振り返る。
2008年には宇宙線研究所長に就任。「風通しのいい組織運営」を心がけ、若手には「ゴールはここだと決めつけずに、自分が納得するまで突き進んでほしい」と助言する。現在は、大型低温重力波検出器「KAGRA(かぐら)」の稼働に向けた準備など大型プロジェクトに取り組む。「仲間とともに切磋琢磨(せっさたくま)していきたい」と意気込む。
弓道部では練習熱心
梶田さんが卒業した川越高校の同級生で、現在は同校の化学教諭をしている新津雅之さん(57)は、梶田さんと同じ弓道部だった。新津さんは「ずばぬけた成績ではなかったがすごくまじめだった。弓道部では練習熱心で、高校3年の6月の最後の大会まで残って、やっていた」と振り返った。今年2月、同期の数人と5、6年ぶりに集まって酒を飲んだが、ノーベル賞の話題は出なかったという。
弓道部の同級生だった田島康宏さん(56)は「毎日の練習を一生懸命やり、埼玉大学に進んでも弓道を続けていた。温厚な性格で、怒ったところは見たことがない。(2002年にノーベル物理学賞を受賞した)小柴昌俊さんの弟子だということは聞いていたが、まさかノーベル賞を取るとは。集まる機会があれば、同級生でお祝いしたい」と話した。
やはり弓道部で一緒だった細川健(たけし)さん(57)は「(梶田さんは)部活を休まずこつこつと練習に励み、レギュラーになった。今回の受賞も地道に研究を続けた成果だと思う。3年間一緒に過ごせたことが光栄で、心からおめでとうと言いたい」と声を弾ませた。
毎日新聞 10月6日(火)22時45分)

興味を持ち続けることも、才能かしらね。