軽井沢の密使

大戦末期 軽井沢から米英に電報 「国体護持」スイス仲介か
第二次世界大戦末期に長野県軽井沢町の「深山荘」に疎開していたスイスのカミーユ・ゴルジェ公使をはじめ、スイスの外交当局がフランス語で「イミュニテ カルイザワ」(軽井沢を爆撃しないでほしい)と記載した電報を、本国の外務省や米英のスイス公館に約2カ月間で19通送っていたことが15日、軽井沢町筑波大学の調査で明らかになった。「イミュニテ カルイザワ」が「国体護持(天皇制維持)」の符号であるとの見方も浮上、スイスが仲介役となって米英の意向を探る和平交渉が行われた可能性もある。
軽井沢町筑波大学スイス連邦公文書館で戦時下の交換電報を調べたところ、昭和20年6月8日から7月30日の間、ゴルジェ公使らが本国の外務省や、外務省を通じて米英のスイス公館に打電した27通のうち19通に「イミュニテ カルイザワ」などの記述があった。
ゴルジェ公使は本国の外務省に送った6月8日の最初の電報で、「そろそろ『イミュニテ カルイザワ』を働きかけるべきです。(天皇制維持を主張した)米国の国務長官代理、ジョセフ・グルー前駐日大使もよくご存じだ」などと打った。これに対し7月7日、ゴルジェ公使は「ゴルジェ氏の提案は、すでに外務省に報告しているが、結果としてまだ、正確な確証は得られていない」とするロンドンの回答などを受け取った。
ゴルジェ公使は7月6日にも再び電報を打ち、20日に「英国外務省は、日本への爆撃は、アメリカ当局がもっとも関心のあるところであり、それが故に、かれらはコンタクトした」とする回答を受け取っている。
東京などへの空襲は、都市部を標的としたもので町村は原則対象外だった。このため、ゴルジェ公使が6月8日に「軽井沢を爆撃しないでほしい」と要請するのは唐突との見方が浮上。スイス側が軽井沢を爆撃対象から外す要請について、在外公館を総動員し複数回にわたり念入りに米英の意向を確認したのも不自然だ。
東郷茂徳外相と軽井沢で会談していたことを記したゴルジェ公使の日記も発見されており、「イミュニテ カルイザワ」は「爆撃対象から外す」ではなく、国体護持を意味する符号で、ゴルジェ公使が日本を終戦に導く目的で米英に意向を確認した可能性がある。
軽井沢町筑波大学は22日午後2時から同町中央公民館大講堂で「深山荘の謎を解く」と題して公開シンポジウムを開催。ゴルジェ日記を発掘したフライブルク大学のクロード・ハウザー教授らが講演する。
産経新聞 8月16日(日)7時55分)

だんだん、明らかになっていく。