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<受験と私>上原浩治さん原点の浪人経験 苦しい時は19を見る
米大リーグ、ボストン・レッドソックスの2013年のワールドシリーズ制覇を支えた上原浩治投手(39)。「クローザー」としてチームメートや監督から絶大な信頼を得ていた上原投手の登板は、常に苦しい場面ばかりでした。重圧をはね返す力になったのは、「背番号19」。その裏付けは、浪人経験だといいます。

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大学を卒業してプロ野球の巨人入団からずっと付けている背番号「19」は、「19歳の時の苦しさを忘れないように」との思いで選びました。高校生の頃は、大学に行って4年間野球をやり、その後は体育教師になろうと思っていました。そのため、自宅から通え、自由な校風の大阪体育大(大体大)への進学を考えていました。

高校3年間は野球漬けで全く勉強しなかったため、知識はほぼゼロに近かった。浪人してから、中学レベルからやり直そうと、予備校の一番下のクラスに入りました。午前9時から午後5時ごろまで予備校で勉強。うまく気分転換しないとおかしくなってしまいそうだったので、夕方からスポーツジムでウエートトレーニングをしていました。振り返ってみると、無理に受験のテキストを開かず、中学の勉強からやり直したことが良かったように思います。野球もキャッチボールなど基礎が大事ですが、基本をおろそかにしていると応用もできません。

好きな教科なんてありません。でも、やらないといけなかったので。逃げては通れない道ですからね。あの時、勉強したから今があると思っています。もしスムーズに現役で受かっていたら、今の自分はないかもしれない。だから振り返ると、あの1年があって良かったと思います。もっと野球が好きになりましたから。

大学を選ぶに当たって一番大事なのは、自分が何をしたいかだと思います。単に友達が行っているから、という理由だったら絶対、やめた方がいい。僕の場合は体育教師になりたいという夢がありました。浪人の1年は本当にきつかった。ですが、あの1年があったから、野球でしんどい場面があっても、そんなに気にやむことはありませんでした。やっぱり、先が見えない19歳の時が一番つらかったから。

クローザーはきつい。チームの勝利のかかった大事な場面でマウンドに上がり、抑えることを当然のように求められます。でも、そういう時も背番号を見れば、「19歳の時に比べれば、好きな野球を仕事にしている。そんな幸せなことはない」。そう思うとすごく気が楽になるんですよ。

大事な場面でマウンドを任される時、(満員の)スタンドを見上げます。「わー、すごいお客さんがおるわー」。試合だけにとらわれることなく、球場を見回してみる。勝負とは別のことが頭に浮かんできて、またパッと試合に気持ちが向かいます。野球は投手が投げなければ始まりません。自分が主役です。受験も自分が主役。試験監督が「よーい、始め」と言ったら、1分ぐらい周りを見渡して、心を落ち着かせてから始めるのもいいんじゃないでしょうか。見渡したらカンニングと思われちゃうか(笑い)。

派手なこと、奇をてらったことで注目を引かなくても、こつこつ努力している人は、誰かがちゃんと見ていてくれるものです。野球でも球団によって目立ち方が全く違い、「自分の方が成績を上げているのに、なんであいつが目立つんだ」ということもあります。でも第三者より、まず自分がこつこつ頑張っていけば、間違いなく自分に返ってきます。人はなるようにしかなりません。ただ、やることをきちっとやって、なるようになるための努力をしてきたかどうかで違いが出ます。

僕は今、39歳。メジャーリーグに来たのは、野球選手にしては遅めの34歳です。こつこつやってきたことが10年、15年を経て実を結ぶことがあります。だから、やっぱり諦めるな、ということですよ。受験もそう。今やった勉強がすぐ受験に役に立つかは分かりませんが、試験の前日まで、最後の最後まで頑張ることが大事です。

この年齢でレッドソックスの2年契約を取れたということで、提示してくれた球団や関係者、ファンにはすごく感謝しています。またそういう人たちのためにも頑張らんとあかんなと思います。頑張っている人にしか野球の神様は降りてきません。それは受験勉強も同じで、頑張った人にちゃんと点数が与えられると僕は信じています。ここまできたらちゃんと体調管理すること、最後まで諦めずにやることだと思います。改めて浪人の1年を振り返り、自分でもようやったなと思います。僕は今でも「尊敬する人」を聞かれると、「勉強している浪人生」と答えるんですよ。それくらい大変だってことを、身をもって経験しましたから、受験生には本当に頑張ってほしいなと思います。


◇うえはら・こうじ 1975年鹿児島県生まれ、大阪育ち。レッドソックス投手。大阪体育大卒。99年ドラフト1位で巨人入団。同年に20勝を挙げ、最多勝、新人王、沢村賞など各タイトルを獲得。09年に米大リーグ・オリオールズに入団。11年レンジャーズ、13年からレッドソックスでプレー。13年、ワールドシリーズを制して日本人初の「胴上げ投手」に。著書に「闘志力。人間『上原浩治』から何を学ぶのか」(創英社)など
毎日新聞 1月19日(月)10時0分)

東京ジャイアンツ、オリオールズ、レンジャース、レッドソックス、すべて背番号は19。
19のエピソードは、巨人時代からの上原ファンにはおなじみなものばかりですが、今もメジャーで投げてるのってすげえわ。