閉幕

江古田市場、90年の歴史に幕−年内で閉場へ /東京
1922(大正11)年ごろに始まったとされる同市場。同年、西武池袋線江古田駅も開設。1974(昭和49)年には、同駅の1日平均乗降車人員が約7万3500人と最多を記録し、「練馬のアメ横」と呼ばれた同市場は多くの買い物客でにぎわったという。時代とともに活気が失われ、現在はレトロな雰囲気となった市場に総菜店、鮮魚店、雑貨店など8店舗が営業する。
1953(昭和28)年、裸一貫でやってきたという練馬新高屋商店の岩崎サカエさんは「当時は歩けなくなるほど人があふれ、住み込みの従業員が10人ほどいた。朝から晩まで働き、あまり子どもたちとも合わなかった」と振り返る。「もう感無量、店が大好きだし楽しかった。89歳を迎える来年、やっと老後を楽しみたい」とも。
今年は、同市場の閉場を惜しみ、最後にまた盛り上げたいとさまざまな団体による企画が展開された。西武鉄道練馬駅管区と練馬まちづくりセンター(豊玉北5)もそれらのイベントを一つにまとめ「とにかく江古田!プロジェクト」としてPRを行った。
練馬区で活動するシンガー・ソングライターの谷修さんとフリーマガジン「nerimaga(ネリマガ)」を発行する高砂航さんの共同プロジェクトでは、同市場をテーマにした歌「江古田市場」を制作したほか、子どもが参加できる「はじめてのおつかい」イベントなどで同市場に人を呼び込んだ。「江古田市場が練馬を好きになったきっかけだった。今回、市場に関わることができてうれしかった」と高砂さん。
今月26日に市場内で「江古田市場」を歌った谷修さんは「普通のライブと違って自分からではなく皆さんの後押しがあって歌わせていただいたもの。最後に自分がイメージしていた通りの市場となり、これ以上、リアルにはできない」と話す。
閉場に伴い閉店を決めた入船屋煎(いり)豆店の南部昌平さんは、同プロジェクトについて「最初は何が何だか分からなかったが、彼らが行った市場をまた活気づけたいという企画で多くのメディアが訪れ、番組でも取り上げられた。閉場はろうそくが少しずつ消えていくものと思っていたが逆だった。栃木から訪れる人やカメラで撮影に来る人など来場者は増え忙しい」と話す。「今までやってきたことは間違いではなかった。昔からいい物を売っていたからこそ、お客さまにも喜んでもらえる。31日は商品が少なくなっているかもしれないが最後のお客さままで、ありがとうという気持ちで接客したい」とも。
同じく閉店する鮮魚店大森屋の飯岡壮一さんは「イベントがきっかけで市場がにぎやかになって、昔の活気が戻ってきた感じで本当に良かった。昔は市場の周りに建物が無く、この時期とても寒かったことを思い出す」と振り返る。
「まだ近所の人でも、市場が無くなることを知らない人が多い。残りわずかの営業だが、ぜひ市場に足を運んでほしい」(谷さん)と来場を呼び掛ける。
同市場は31日まで。閉場後、入船屋煎豆店、大森屋、伊藤ハムショールーム、味噌(みそ)の川島屋は閉店し、大津屋食品店、新高屋商店、フクミ青果店、ミコラの4店は別の場所に移転して営業を続ける。
(みんなの経済新聞ネットワーク 12月27日(土)15時33分)

もっと早く知ってりゃ、いけたのにな・・・。