悲願

羽生、フィギュアで日本男子初の金メダル快挙
ソチ冬季五輪は14日、フィギュアスケートの男子シングル・フリースケーティング(FS)が行われ、羽生結弦Yuzuru Hanyu)が合計280.09点を記録し、この種目では日本勢初となる五輪での金メダルをつかんだ。
今大会の日本チームにとってはこれが金メダル第1号で、19歳の羽生は1948年大会の男子シングルで優勝した米国のディック・バトン(Dick Button)氏に次ぐ最年少のフィギュアスケート金メダリストになった。
FSでの羽生は2度の転倒などミスが目立ったものの、世界選手権3連覇のパトリック・チャンPatrick Chan、カナダ)を抑えて初のタイトルを獲得した。
デニス・テンDenis Ten)は、ショートプログラム(SP)終了後に9位だった順位を押し上げ、カザフスタン勢にとっては史上初となるフィギュアスケートでの銅メダリストになった。

■羽生、「やっぱり五輪ってすごいなと」
演技終了後のインタビューで、羽生は息を切らしながら次のようにコメントした。
「緊張しました。すみません。やっぱり五輪ってすごいなと思った」
アイスバーグ・スケート・パレス(Iceberg Sports Palace)の観客の前で披露した映画『ロミオとジュリエット(Romeo and Juliet)』のテーマに乗せた演技の序盤、羽生は4回転サルコーで転倒し、続く3回転フリップも着氷に失敗。五輪の夢は途絶えたかと思われたが、その後4回転トーループを成功させた。
2011年3月の東日本大震災で大きな被害を受けた仙台出身の羽生は、「驚きました。言葉が見つかりません。難しいプログラムで、身体もあまり良い状態ではなかった。ただびっくりです。日本男子初の金メダルを誇らしく思います」とコメントした。
SPで歴代最高得点をたたき出して2位以下に3.93点差をつけた羽生は、転倒による2点の減点がありながらも178.64点を記録し、合計280.09点を獲得した。
日本人選手がフィギュアスケートで金メダルを獲得するのは、2006年トリノ冬季五輪女子シングルの荒川静香(Shizuka Arakawa)氏以来、2人目。

■チャン、「チャンスを逃した」
23歳のチャンは、アントニオ・ヴィヴァルディ(Antonio Vivaldi)作曲の「四季(Four Seasons)」とアルカンジェロ・コレッリ(Arcangelo Corelli)の「合奏協奏曲(Concerto Grosso)」に乗せた演技を披露。2回目の4回転ジャンプとトリプルアクセルで手を着き、ダブルアクセルでもステップアウトしてしまい、FSでは178.10点となり、合計275.62点で銀メダルを手にした。
チャンにとっては、団体戦に次ぐ今大会二つ目の銀メダルとなった。
ブライアン・オーサー(Brian Orser)氏、カート・ブラウニング(Kurt Browning)氏、エルビス・ストイコ(Elvis Stojko)氏と同じく、優勝候補として有力視されながらも金メダルを逃してきたかつてのカナダ代表選手と同じ運命をたどったチャンは、「チャンスを逃したことになるね」としながらも次のように語る。
「五輪で何度こういう場面を見てきたかい? チャンスを逃した選手は過去にもたくさんいた。今日この五輪の舞台で僕がチャンスをものにできなかったからといって、スケート人生が決定づけられるわけではない。僕が世界で最高レベルのスケーターである事実は変わらないよ」
「みんな人間なんだ…失敗もする。残念なことに、僕はやりすぎたけどね」

■テンとオーサーコーチの快挙
世界選手権銀メダリストのテンは、上位7選手中ではFSをミスなくこなした唯一の選手となった。
バレエ「お嬢さんとならず者(The Young Lady and the Hooligan)」のテーマに合わせた演技で、テンは4回転トゥーループと7つの3回転ジャンプをすべて成功させ、171.04点を記録した。
テンは今季けがと病気に悩まされメダル圏外とみられていたが、合計255.10点で銅メダルに輝いた。
「今日の演技は間違いなく今シーズン最高だった。すべてのジャンプに満足しているし、振付でもベストを出せるよう努力した。みんなが楽しんでくれていたらうれしいな」
羽生を指導するオーサーコーチにとっては、2010年のバンクーバー冬季五輪で金妍児Yu-Na Kimキム・ヨナ、韓国)に続き、2大会連続での金メダル獲得となった。
しかしながら、同じくオーサーコーチに師事する世界選手権銅メダリストのハビエル・フェルナンデス(Javier Fernandez、スペイン)は、SPで3位につけた順位を5位まで落とした。
日本勢では町田樹Tatsuki Machida)が合計253.42点で5位、高橋大輔Daisuke Takahashi)が250.67点で6位だった。

プルシェンコ棄権でロシア勢は30年ぶりメダルなし
一方、ロシアのエフゲニー・プルシェンコ(Yevgeny Plushenko)は13日のSPを棄権し、31歳にしてその華々しいキャリアに終止符を打った。
ロシアの男子シングル出場枠は1枠で、補欠選手の登録もすでに締め切られていたことから、プルシェンコの代わりに出場できるロシア代表選手はいなかった。
プルシェンコの欠場により、ロシアと旧ソ連構成国は1984年のサラエボ大会以来はじめて男子シングルでのメダルを逃したことになる。
(AFP=時事 2月15日(土)12時28分)

あらゆる「やっと」が乗っかっちゃって大変でしたでしょうが、おめでとうございます。