テレビじゃそこまでやれねーよ

半沢直樹なんてガキだよ」 富士銀行不正融資主犯課長は魚の行商人
「今、一所懸命生きてんのよ。60(歳)で、朝4時から夜8時まで働いてね」 こう語るのは、1991年に発覚した富士銀行の巨額不正融資事件の中心人物、後藤誠(仮名)本人である。
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この事件はバブル絶頂の80年代後半、赤坂支店の渉外二課長だった後藤らが預金証書を偽造するなどして、ノンバンクから金を引き出し、不動産業者などへ不正な融資を実行していたというものだ。その総額は7000億円とも9000億円ともいわれ、もちろん後藤はリベートを受けていた。
「後藤は北海道の高校を卒業して富士銀行に就職。預金獲得のため土日もなく働き、33歳で都心支店の課長と、一流大を出た同期に負けないスピード出世を遂げていました。
不正に手を染めてからは、融資を受けた業者からプレジデントを運転手付きで与えられ、それで千葉県野田市の自宅から銀行まで通勤、仕事が終わるとその車で銀座のクラブに繰り出して毎晩豪遊という暮らしでした」(全国紙社会部記者)
当時、後藤と関わった業者が語る。
「押しが強く、行儀の良い大卒の銀行マンとは違いましたね。おねだりがうまく、『ゴルフのときに襟から見えるプラチナのチェーンが欲しいんだよね』と言うので、80万円ほどのものを買って届けたこともある」
結局、後藤は91年に詐欺などの容疑で逮捕される。93年、東京地裁で懲役12年の判決を受け、千葉刑務所へ収監された。
しかし、「口がうまいから、先生(刑務官)の覚えもよかった」(同時期に千葉刑務所に入っていた男性)という後藤は、01年に仮出所。すると今度は合併でみずほ銀行となった、かつての職場へと牙をむいた。
「後藤は06年4月にみずほ本店へ赴き、首からプラカードをぶら下げて、『銀行がお金を受け取ってくれない』と声を張り上げた。
後藤は服役中に富士銀行から求められて、2570億円の『債務承認書』に署名しています。ノンバンクへの弁済を行った富士銀行に対する債務です。後藤は返済するから、その明細を開示しろと銀行に迫ったのです」(ジャーナリスト・中西昭彦氏)
このときすでに、後藤は金銭的に窮していたようだ。
「後藤は知人が経営する八丁堀の喫茶店で働いていました。知人の事務所に布団を敷いて寝るような暮らしぶりで、不正融資当時に手にした金は溶けてしまっていたようです」(同前)
その後、コンビニで働くなどし、現在は地方の水産加工会社に勤務している。
「土産物店や各地の百貨店で開催される物産展で、魚などの海産物の販売を行っています。今も、会社に寝泊まりして働いているそうです。最近はアンコ入りのお焼きを売ることを思いついて、『1日200個売れるんだ』と話していました。事件後、妻とは離婚し、2人の息子とも絶縁状態のようです」(後藤の知人)
後藤に電話で現在の暮らしぶりを訊ねると、冒頭のような答えが返ってきた。
さらに話を聞くと、みずほからは、債務の督促もなかったという。
「だって暴れたもん、本店に行ってさ。それ以上はもうないっしょ。(債務の詳細に触れることが)一番怖いところだもん、銀行も」
銀行員が不正融資の回収に奔走する姿などを描いたドラマ『半沢直樹』(TBS系)も観たという。
その感想は――。
「ガキだよね、ガキ、ガキ。内部なんかあんなものじゃない。もっとレベルも違うよ。銀行というのは恐ろしいということよ」
半沢の上司による不正融資は5億円。たしかに後藤の事件はケタ違いだった。
週刊文春2014年1月2日・9日号『特集』より>
週刊文春 12月28日(土)13時1分)

まあ、がんばって残りの人生を禊に使ってください、としか。
文面読んでる限り、同情の余地もねぇけど。