まだ早い気もする

燕ひと筋19年…宮本、今季限りで現役引退
ヤクルト・宮本慎也内野手(42)が今季限りで現役を引退することが24日、サンケイスポーツの取材で分かった。26日にも引退会見を行う。遊撃手、三塁手としてゴールデングラブ賞を10度受賞、球団の右打者では歴代最多となる通算2121安打(24日現在)を積み重ねた。ヤクルト一筋で19年間を過ごした名手が、後進に道を譲る。
球界一の守備でヤクルトを支え続けた宮本が、グラブを置く。サンケイスポーツの取材に「(引退の意思を)球団に伝えた。この年齢まで、現役を続けられるとは思わなかった。監督、コーチ、チームメート、裏方スタッフ、そして両親、家族に感謝したい」と明かした。
昨季中に一度引退を決意したが、入団時の担当スカウトでもある小川監督からの慰留を受け、現役続行を決めた。今季は下位に低迷するチーム事情から若手に出番を譲り、78試合で打率・248、12打点。球宴にファン投票で選出されるなど衰えは感じられないが、チームの将来を考え、後進に道を譲る決断を下した。
秋田遠征中の今月10日、衣笠剛球団社長兼オーナー代行に引退の意思を伝えた。引退後は現場を離れ、グラウンドの外から野球を勉強する考えだ。
座右の銘「球道即人道」を貫いた19年だった。1995年の入団時には当時の野村克也監督(サンケイスポーツ専属評論家)に「その小さな体で野球ができるのか」と言われたが、抜群の守備力で遊撃に定着。同監督の薫陶を受けて脇役に徹し、3度の日本一(95、97、2001年)に貢献した。
04年アテネ五輪では日本代表の主将を任され、銅メダルを獲得。08年の北京五輪でも主将を務めた。05年から08年まではプロ野球選手会の会長を務めるなど、球界の中心的存在を担った。昨年5月4日の広島戦(神宮)で、当時歴代最年長となる41歳5カ月での通算2000安打を達成。2121安打は歴代25位で右打者としては球団最多をマークした。
残した記録以上に、ストイックな姿勢でプロ野球選手のあるべき姿を示した。骨折を隠して出場を続け、嫌われ役も買って出た。今でも神宮室内練習場に一番乗りし、マシン打撃を続ける。来年も現役でできるという周囲の声には「『あと3、4年できる』といわれるぐらいでないと、続けたくはない」と引き際の美学を語っていた。
巨人・坂本らが合同自主トレーニングに志願するなど、チームの枠を越えて慕われる存在だった。若手には厳しく接したが、その裏には深い愛情があった。初勝利や初本塁打の節目には、高級腕時計を贈ってきた。今月1日の巨人戦(東京ドーム)に敗れた後、風呂場で笑い声をあげていた上田、山田を一喝。翌日に「もっと回りの目を意識しろ。それが選手として生きてくる」と諭す姿があった。
現在最下位のチームは3位広島に7ゲーム差と、クライマックスシリーズ進出の可能性をわずかに残している。宮本に最後の花道を−。その思いがチームをひとつにする。
サンケイスポーツ 8月25日(日)7時0分)

あんだけの選手だからすぐ指導者の声はかかるだろうが、まだグラウンドで伝えなきゃならないことがあるような気がするんだけどな・・・。