追い出されただけだとしても

<城島選手引退>捕手としての矜持、最後まで 涙で記者会見
「捕手だったからこそ、ここまで来られたし米国にも行けた」−−。日本人捕手として大リーグに初めて挑戦し、確かな足跡を残した阪神城島健司捕手(36)は28日、日米通算18年にわたるプロ人生を涙ながらに振り返り、引退を宣言した。イチローでさえ「天才の一人」と称賛する才能の持ち主も度重なるけがには勝てなかったが、「今の状態では捕手ができず、来年の給料はもらえない」と捕手としての矜持(きょうじ)は最後まで捨てなかった。
兵庫県西宮市内のホテルで開かれた会見に、城島はスーツ姿で臨んだ。4年契約を1年残しての決断に、「球団は(状態の悪い右ヒジの手術を受けろと)言ってくれたが、高給取りになってから2年続けて活躍できなければユニホームを脱ぐべきだと決めていた」と心境を吐露した。
ダイエー(現ソフトバンク)で大活躍した後、06年に当時イチローも所属していた大リーグ・マリナーズに移籍。言葉の壁や戦略の違いなどを乗り越えて1年目からレギュラーに定着した。米国での4年間で462試合に出場し、打率2割6分8厘、48本塁打、198打点を記録した。
阪神に移った10年以降、左膝、右肘の故障が相次ぎ、今季は一塁手としてスタートした。「オールスター明けから(練習で)少しずつマスクをかぶり、シーズン終盤には1試合マスクをかぶる」と考えていたが、今年5月に腰を手術したことで引退を決意。球宴明けの8月上旬に球団に辞意を伝えた。球団からは慰留されたが、9月中旬に引退で合意したという。
最大の恩師と慕う王貞治ソフトバンク球団会長には、事前に引退を相談した。「現役は1回だけ。他のポジションで頑張ってみないか」と言われたが、翻意はしなかった。「(引退は)呼んでくれたファン、球団へのけじめ」と意地を通した。
29日に西宮市の鳴尾浜球場で行われる2軍の試合が現役最後の試合になる。今後の身の振り方は未定。しばらくは指導者も解説者も「するつもりはない」という。
毎日新聞 - 9月28日(金)21時3分)

でも、阪神タイガースでは、「不良債権」扱いされたあげく、棄てられる・・・