ださすぎないか?

球団名は横浜モバゲーベイスターズに決定
横浜の来季からの新球団名が「横浜モバゲー・ベイスターズ」となることが23日、決定的となった。球団をTBSホールディングス(HD)から買収するディー・エヌ・エー(DeNA)社が、運営する携帯ゲームサイト「Mobage(モバゲー)」の名称を冠する方向で調整しているもの。両社は28日に球団譲渡成立を正式発表する予定だが、その席で新しい球団名が披露される可能性が高い。
横浜が、新たな名前で船出することが分かった。関係者の話を総合すると、D社は自社の名称ではなく、看板事業である「Mobage(モバゲー)」をチーム名に冠する意向を持っているという。世間にも「DeNA」より「モバゲー」の方が浸透度は高い。新規参入において、親しみやすさはファンに訴える大きな武器になる。
横浜は1949年に「大洋ホエールズ」として創設以降、改称を何度も繰り返してきた。地域密着を掲げ現在の「横浜ベイスターズ」となったのは92年。02年に親会社となったTBSHDは企業名は入れなかった。仮に名称変更となれば19年ぶりのこととなる。
「Mobage」は06年に「モバゲータウン」として設立され、今年3月に現在のものに改称した。今や会員数は3000万人を突破し、同社の“金看板”となった。海外での事業展開にも積極的で、着々とグローバル企業へと成長している。チーム名に「モバゲー」を組み込むことで、さらに知名度が増すことは間違いない。
球団名については、球界の“不文律”をクリアする必要がある。巨人・渡辺恒雄会長が過去に、「仮にモバゲーに決まった場合、あれは商品名なんだ。企業名がいいよな。ソフトバンクオリックス楽天みたいにな。商品名でやったら、例えばそのへんで花王石鹸とかな、商品名の宣伝に球団を利用されちゃ困る」と発言した。協約で明確な規定はないものの、これまでの球界の慣例では、「モバゲー」をチーム名とするのはためらわれるところ。D社は今後に「モバゲー」の名前を入れたゲームソフト制作の子会社を設立し、傘下の一部門として球団を運営する方針だという。渡辺会長は「企業名を(モバゲーに)変えるとしたら、そこまで文句はつけられない」とも話しており、その問題も、新会社設立で解決できる。
D社とTBSHDは、ドラフト会議の翌日の28日に臨時の取締役会を開いて正式に球団譲渡の成立を発表する。当日にNPBへ提出する新規参入の申請書へも「横浜モバゲー・ベイスターズ」の名前が記入される見通し。ユニホームのデザイン変更などは今後、順次検討していくことになる。
◆DeNA(ディー・エヌ・エー)99年に有限会社として、東京・世田谷区に設立。業務内容は主に携帯電話専用ウェブサイトの企画・運営。04年に開始した携帯電話専用のオークションサイト「モバオク」のサービスなどで順調に売り上げを伸ばし、07年12月には東証1部に上場。06年にゲームサイトの「モバゲータウン(現Mobage)」を開始し、「怪盗ロワイヤル」などが大ヒットしている。11年3月期の売上高は連結で1127億円、純利益も316億円を計上。資本金104億円。春田真会長、守安(もりやす)功社長。創業者は前社長の南場智子取締役。
◆横浜の球団名変遷 現在に至るまで、多くの改称を繰り返してきた。1949年に大洋漁業(現マルハニチロホールディングス)が母体となり、「大洋ホエールズ」として創設。53年には松竹ロビンスと合併して「大洋松竹ロビンス」、翌54年にはさらに「洋松ロビンス」と目まぐるしくチーム名は変わった。しかし、55年には松竹映画が経営から手を引き、再び「大洋ホエールズ」に戻った。78年に本拠地が川崎市から横浜市に移転したのを機に、都市名を入れた「横浜大洋ホエールズ」が誕生。92年、親会社の大洋漁業がマルハに改称したのと同時に、市民球団を目指して現在の「横浜ベイスターズ」が生まれた。TBSが筆頭株主となったのは02年。大洋時代の60年に三原監督、横浜になってからの98年に権藤監督のもとで、ともにリーグ優勝と日本一に輝いたが、近年は低迷が続き、今季は4年連続の最下位に沈んだ。
(スポーツ報知 - 10月24日(月)12時3分)

企業が手を引いたら、プロスポーツは成り立たない日本の事情の典型ですな。
ノンプロとどう違うんだか(苦笑)