新たなる解釈

米国で「緑の聖書」が静かなブーム
2008年に米国で出版された「緑の聖書」をきっかけに、聖書を環境の視点から読み直そうとする試みが静かに広がっている。「ノアの方舟」のエピソードから環境問題を論じるなど、今までにない発想が受けているようだ。京都議定書を巡る国際交渉では消極的な米国だが、緑の聖書はその流れを変えるだろうか。
■人間の自然への「支配」の意味とは?
「偉大なる神は、私の同胞である大地を、自然を、森を、生き物を作られた」――。『緑の聖書』の冒頭には、愛の深さゆえに鳥獣にも慕われ対話したとされるカトリックの聖人であるアッシジの聖フランチェスコ(1182―1226)の詩が掲載されている。
キリスト教は自然、そしてすべての生き物へ責任を果たすことを、あなたに求めている」。前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世(1920―2005)が1990年の世界平和デーに公表したメッセージが続く。
聖書の記述はこれまでの英語版とほぼ同じだが、約1400ページのうち解説と索引で約200ページを占める。
その中には聖書を読む誰もが持つ疑問について答えたものがある。ウィスコンシン大学環境学を教えるカルビン・ドウィット教授の『緑のレンズを通して聖書を読む』という文章だ。
同教授は「『神はすべての被造物に人間がしたいことをする権利を与えた』と解釈する人がいるのではないか」と問題を提起した。
世界の創造を記した聖書の『創世記』には、「神は彼ら(注・人間のこと)を祝福して言われた。産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」(1章28節、日本聖書協会新共同訳)という一節がある。
答えは次の通りだ。「『支配』とは他をまったく顧みない圧制ではない。(中略)創世記の文章は聖書の他の個所や文脈から切り離して理解してはいけない。ここでの『支配』とは『責任を持ち管理する』という意味だ」。
また「環境より人間が大切だ」という考えに、同教授は創世記のノアの方舟の物語を引用して反論する。この説話では、けがれた世界を浄化するため神は大洪水を起こしたが、ノアに生物の雄雌を方舟に乗せて救うることを命じた。「神の救いは、人間だけでなく、すべての生き物を含む」。このように環境に配慮した視点で現代的な聖書を読み直そうとしている。
■「エコ」視点の再解釈は広がるか
この本は内容だけではなく外装も「グリーン」だ。再生紙を使い、大豆原料のインクで印刷しており、表紙カバーは天然綿だ。また聖書の本文で、自然に関する教えが書かれた場所は文字の色が緑色になっている。
巻末には自然や環境のキーワードの索引集が付いている。大地、山、月、草などの約1千の言葉で、聖書に出てくる場所が示されている。
この本は大手出版社ハーパーの系列会社が発行した。同社サイトによれば、多くの人が環境に関心を向けているのに、その視点から編集した聖書がこれまでなかったことから企画したという。
反響はおおむね好評だ。リベラル色が強く、環境への感度が高い『ニューヨーク・タイムズ』『ワシントンポスト』など、米東部地域のメディアが好意的な書評を掲載した。
自然保護団体「シエラクラブ」、動物愛護団体の「ヒューマン・ソサエティ」なども、この聖書の販売を支援している。
ただし懐疑的な意見もある。一部報道によれば、ある宗教指導者は、「隣人を愛せ」などの言葉で知られるイエスの重要な教え『山上の垂訓』を引用しながら、「この時に主は他の生物のことを語らなかった。主は人間と他の生物を対等に扱っているのだろうか」と疑問を示していた。
環境倫理では、米国の歴史学者リン・ホワイト(1907―1987)の説をめぐる論争がある。ホワイトは、キリスト教を貫く人間至上主義の考えが、西欧の思想に影響を与え、環境を考えない科学技術や資本主義の暴走を生んで、現代の「生態学的危機」の一因になったと主張した。
ホワイトは自説の論拠に創世記中の「支配権」の問題を取り上げた。この論争は今でも繰り返され、決着はついていない。
過去にキリスト教は環境と対立する面があったかもしれない。しかし現代では、時代の流れに合わせ、その教義を見つめ直す新しい動きが始まった。
米国や世界の人々の心にどのような影響を与えるかはまだ不透明だが、社会を環境保護に動かす可能性があることは確かだ。(オルタナ編集部=石井孝明) .
オルタナ - 12月21日(火)12時52分)

大切なのは、事実は何であったかではなくて、これから何を読み取るかだと思う。
新たなる意味を発見した、それでいいじゃない。