去年のソロ活動から説明しなければなるまい

桑田自身は、バンドとしてのサザンには、結構早い段階から懐疑的ではあったと思う。
彼自身は相当なロック好きだし、ゆえにどうやったら自分たちの音楽を「洋楽にできるか」・それを「バンドで」やりたい・・・
あの時代のミュージシャンなら、どこかしらそんな要素は持っていると思う。
ただ、求められているサザンは違ったし、「個の集合体」ではあってもバンドマジックを見せられるバンドではなかったと思う。
それが、大森の脱退でバンドとして一時的にしろ活動中止を余儀なくされて、本来予定になかったはずのソロ(「波乗りジョニー」のあたり)活動の中で911事件があり、おそらくそこでなんかに目覚めちゃったと同時に、バンドの限界はそこで悟ったと思う。
それでも、一度は「ロックンロールヒーロー」をソロ桑田の遺作と定め、サザンとしてやっていく覚悟で臨んだはずの「キラーストリート」が・・・たぶん、思うほどの出来にならなかったんだろうね。


そこでようやく去年のソロ。
ソロとしては一度終わっている。
そこで考えたんだろう。
「じゃあ、ソロの桑田がサザンを演じたらどうなるか」
去年の一連の作品群は、ある種桑田らしくなかった。
『ダーリン』に至っては、明らかな確信犯である。
けど、売れた。
こうなると、サザンの存在意義自体怪しい。
たぶん、活動休止を決めたのは、この頃・・・


で、もう一度セットリストを眺めながら考えてみよう。
もはや桑田自身にバンドとしてもこだわりはない。
そんでもって、サザンは30周年。
なら、他人事として眺めたときに、どんなセットリストができるのか・・・


本当は、「普段のサザンオールスターズ」じゃない。
「『普段のサザン』と思われてしまっているサザン」をやって見せただけだ。
けれど、ソロ桑田としての「毒」の部分は、こそっと盛り込んだ。
皮肉なことに、非常にセンスよく仕上がった照明とシンクロして、ほぼ完璧に機能した。
サザンを「続ける理由」が出来ちゃったのだ、と思う。


MCを本当によく読み解いたら、「解散はしない。けれど、納得のいくことが出来ないんだったら、帰ってくる予定もない」と言っているのだとわかるだろう。
まぁ、ほぼ間違いなく活動再開はするでしょうけどね。
再開するだけの理由は、ステージ上でみつかちゃったし・・・