寝て、考え直してみた。

昨日はホント気分悪かったというか、ステージ上のパフォーマンスと、自分の周辺だけで起こっている極私的状況とがごっちゃになって、なおかつ名古屋駅のコインロッカーに荷物突っ込んできたんだけど鍵を持ってくるのを忘れて6時間放置プレイというとんでもない悪状況もあったわけですが。
幸い、荷物は盗難にあうこともなく、終わってみれば「シラを切りとおせば何もなかった一日」だったわけですが。


「in the field」に関して言えば、ここもミスチルファンの方も見てるでしょうし、ホントは曲目を明かした上で書いては行きたいんですけど、それはさすがに許されない。
なので、あえてアリーナバージョンの演出を思い出してみた。


平和な世界を想起させる「imagine」、それでも「素晴らしい世界」と言い放つ「CENTER OF UNIVERSE」、「クルクルとまわる地球儀」に力点を置いた全く新しい「Dance Dance Dance」、地球すらフェイクと思える「フェイク」、でも本当はすべて真実の「Any」。
たかだかアリーナレベルではもったいないほどの殺傷力ぶりで、お客さんの下半身をノックアウトさせていたわけだが(爆笑)
答えはひとつじゃない。
でも真実はひとつしかない。
ap bank fes'05からドームツアー、ap bank fes'06、そして「HOME」へと続く、一貫した骨のようなもの。


スタジアムのセットリストは9月末までおあずけとしても、そんな骨のようなものは間違いなくスタジアムでも貫かれていて、あれだけ個人的には散々な思いをしつつもなお「絶賛に値する」と書ききれる自信が僕にあるのも、それは「感じる」ことができているからかなぁ、なんて思ったり。


だからこそ、ホントはあんまりライブだ・・・・なんてやるべきじゃないんだろうなぁ。
もう、そんな段階は自分は終わっているはずだ、なんて思ったり。
もちろん、活動している限り、自分がいける状況にあるときは顔は出そうと思ってますが、もう少し自分が直感的に感じていた部分を信用すべきじゃないか、と思ってみたり。
おうちでCD聞いて、日々の楽しみと活力にほんの少し彩りを加える、そんな感じが一番無理なく音楽と向かい合っていけるし、人ひとりが動くことで発生してしまう無駄なエネルギーとゴミは抑制できるんじゃないかなぁ、と思ってみたり。


それでも9月まで結果的にチケットがあるので、動く意味が少しでも見出せるなら、きっとそこの「再確認作業」なんだろうな・・・なんて思う。


単純に自分がどういうライブが見たいかと言われれば、とんでもない奇跡を放つバンドマジックだったりするわけで、でもそういうのは2000年の「Q」から、2005年12月27日の東京ドームまで、幾多の奇跡を目撃しているわけで、逆にこんだけバンドが絶好調だったらそれ自体が奇跡なんだから、逆境から信じられないほどの魔力で頂上パフォーマンスを見せるような展開はありえないし、今後はもうないでしょうし、あってはならない。
だからあちこちいく必要がない、ってことでどうでしょうか。