制服嫌い、と、今の自分

今日は徹底的にツラツラ自分のことを書く。


実はですね。
制服嫌いなんですよ。


なんでかってぇと、愛知県は非常に全国でもしめつけの厳しい県のひとつでして、制服のない高校はありません。
唯一私服着用がOKなのが、愛知県立旭丘高校名古屋市東区)。
僕の行ってた高校が、当時名古屋学校群制度なんてぇものがございまして、運のいいやつは尾張藩学校「明倫館」をルーツとする県内最古の高校、愛知県立明和高校(名古屋市東区)にいけるクチ。
受験番号一番違いで、人生を賭けたギャンブルに敗れた半数は、港区の遠いところに行かずにすんだ勝ち組とともに(こう書くと、どこの高校かわかっちまいますが、まぁいいや)3年過ごすわけです。
ところが、卒業間際の1988年。
明和高校の男子生徒が、反乱を起こします。
校則に「黒いズボン」としか書いていないことをいいことに、ブラックジーンズで登校を開始。
これが学校当局の逆鱗に触れるわけなんだけど、これが地元マスコミを交えてとんでもなくヒートアップしてしまうことになり・・・
ウチの「明和コンプレックス」を抱き続けてきた連中が、ここぞとばかりに生徒会を炊きつけ「私服にしろ!」と騒ぎ出す。
学校側はアホで、対案として「遠足はジャージではどうか」と持ち出して・・・(溜息)
タイミングが悪く、そのまま受験へとなだれ込んでしまって収束をむかえるわけだが、おさまりがつかなくなったのは僕。


だいたい、大学進学後のモチベーションなんかとっくになくなっていて、中2で「物書きとして食う夢」をあきらめてから、特にこれといってやることもなく・・
数学が苦手だから文系がいい→入試に数学があるとこが少ないから法学部にしよう・・ときわめて安直な理由で進学学部だけは決めていて。


そこへ、降って沸いたような、生きるための動機。
「コレを変えたきゃ、教育委員会にもぐりこむしかない・・・」


その9年後、公務員ではないですが、宮仕えとして食ってる自分がいる。


余談だからついでに書いとくと。
いよいよホントに公務員試験を受ける時期になって、「公務員試験 受験ジャーナル」でも特集されていた愛知県のとある構想。
「何考えてるんだ、愛知県は!」と激怒しながらその特集を読み漁り・・
まさか、自分がその渦中で食う羽目になるとは、そのときは思いもよらなかったわけですが。
内定通知をもらったとき、はりつけにでもなった気分でしたよ、もう。


そんなわけで、いまだに制服は僕にとって、管理の象徴・体制の象徴で(ただし、左翼的思想は一切ありません。念のため)、それに「萌え〜!」なんてことは絶対にあり得ない。



・・・なのに自分がアイドルにはまってしまっているのは、1970年代のカウンターカルチャーの相似形だったんだな・・・と、自分で分析してます。

おそまつ。