そんなに勝ってんだ

原監督 巨人4人目の偉業「皆さんに感謝。私の力は数%ですから」
セ・リーグ 巨人2―0中日(2014年4月4日 ナゴヤD)
巨人の原監督が、この日の勝利でプロ野球史上15人目の監督通算800勝と達成した。巨人では川上哲治監督の1066勝、長嶋茂雄監督の1034勝、水原茂監督の881勝に次いで4人目の偉業達成となった。
試合後には「今、聞いたんですけど、全く意識はしておりませんでした」と言った原監督。「ただ、皆さんに感謝です。私の力は数%ですから」と語り、ウイニングボールは「もらっていません」と語っていた。
だが、球場から宿舎に戻るバスの中で、この日8回無失点の好投で2勝目を上げた菅野からウイニングボールを手渡されると、満面の笑みで応えていた。
スポニチアネックス 4月4日(金)22時5分)

長くやらないとできない記録ですからね。

逆襲の始まり

イチロー今季初出場で2安打2得点 「4月からギアを入れていかないといけない」
アストロズ2‐4ヤンキース」(3日、ヒューストン)
ヤンキースイチロー外野手が「8番・右翼」で出場し、4打数2安打2得点。開幕3戦目で初出場した試合でいきなりマルチ安打&マルチ得点を記録した。チームは4‐2で競り勝ち、今季初勝利を挙げた。
開幕2試合をベンチで過ごしたイチローが魅(み)せた。1点を追う三回1死。「割とノーマルだと思う。高まってないわけではないけど、すげぇ興奮したぜ!とは言えない」。平常心で立った第1打席。フルカウントから相手左腕が投じた外角低めのカーブを技で左前へ運んだ。
「思いはどうだろう。想像の範ちゅうだと思うけど」
格別なはずの最初の1本にも試合後の口調は淡々。後続の連打で同点のホームを踏むと、七回2死の第3打席では中継ぎ右腕の外寄り直球を再び、技を駆使して左中間二塁打にした。
持ち味を存分に発揮した2打席。らしさを見せたのは二塁からの走塁だ。後続のマウンド付近に上がった飛球に全力疾走。相手守備陣がお見合いをして、打球が落ちたときには本塁を駆け抜けていた。
「ああいうケースは(全力で)行く。経験のない人に向けて走っておくという意味合いだから。ジョギングして得点するのとは(与える)影響が違うから」
1点を取りに行く姿勢をプレーで示した。
この日の先発出場は、正中堅手のエルズベリーを休ませるための措置。次の出番は確約されていない。これまで4月は“準備期間”と位置付けてきた。
「レギュラーの選手でない立場にとっては、(4月を)準備期間と捉えることはなかなか難しい。本来、僕はこの時期そうなんだけど、そういう立場にはない。だから、4月の段階からギアが入っている状態にしていかないといけない。それはこれまでになかったこと。そういうスタンスだということを言えば、わかるでしょ?」
メジャー14年目の挑戦。この日のパフォーマンスにイチローの思いが詰まっていた。
(デイリースポーツ 4月4日(金)22時9分)

口火を切った程度じゃ、プライドが許さないでしょう。

じわじわ

ミラン復活の兆しが本田圭佑に変化をもたらした
サッカーは本当に予測不可能な、素晴らしいスポーツだ。ほんの7日ほど前、正確にはフィオレンティーナ戦(3月26日)の前夜までは、我々はミランの危機を嘆いていた。ミラネッロにはピリピリとした張り詰めた空気が流れ、セードルフ監督の首さえも危うかった。
しかし――やはりミランミランだ。偉大なチームスピリットが最後には現れる。特に今のような難しい局面では必ず、だ。フィオレンティーナ戦、キエーボ戦の連勝はチームに力を与え、新たな闘志を取り戻した。試合後、ミランは久しぶりに日曜、月曜と2日間のオフをとった。ゆっくりと休んで心身の疲れを癒し、新鮮なエネルギーを充電し、ついでに頭から悪い考えもすべて叩き出すことができたら言うことはない。
ミランの復活の兆しは本田圭佑にも変化をもたらした。ラツィオ戦(3月23日)では腑に落ちない途中交代に、思わず「なぜ?」と両手を広げ、その様子をすかさずテレビカメラに収められていた本田だが、その後は2試合ともで90分のフル出場を果たし、その両方でポジティブな結果を残した。
まずフィオレンティーナ戦では右サイドを絶え間なく動き、攻撃のみでなく守備にも積極的に参加、最後までチームのために自己犠牲の精神とファイトを見せた。このプレイはそれまで彼に懐疑的だったメディアやサポーターを大いに納得させたが、なによりも本田自身、子供の頃から夢見ていたユニホームを着ての活躍が嬉しかったのではないだろうか? 試合後、イタリアに来て初めてスタンドにユニホームを投げ入れたことが、その喜びを物語っている。
また、土曜日(3月29日)のキエーボ戦では見事なアシストをしてカカにゴールを決めさせた。カカが相手ゴール前でフリーになったところへ、すかさずパーフェクトなボールを送りこみ、勝利を確実とする2点目の原動力となったのだ。こうなってくると欲が出てきて、早く本田のリーグ初ゴールが見たくなってくるが、フィレンツェでもサン・シーロでも本田自身のゴールチャンスはまだ少なかった。
それでもとにかく、今回のアシストは本田がセードルフ率いるミランのシステムの中に溶け込みつつ、チームメイトからも信頼されていることを示している。フィオレンティーナ戦のあとの本田が、それまでより笑顔を見せることが多くなったことを、ミラネッロのスタッフもチームメイトも、そしてテレビカメラも気がついていた。これまでよりずっとくつろいだ表情をしている。キエーボ戦のあとの休日は、久々にリラックスした気分で、本格的に訪れ始めたイタリアの春を楽しむことができたのではないだろうか。
さてこんな明るい空気の中、ミランのユニホームを着た本田の初めてのパニーニのステッカーがイタリアで発売された。パニーニとは毎年発売されているサッカー選手の顔写真のステッカーで、専用のアルバムの台紙に別売りのステッカーを貼り(ステッカーは数枚単位で袋に入って売られ、中は見えない)、各チームのページを完成させるというものだ。完成するとその年の選手名鑑ともなる。
イタリアでは今から半世紀以上前の1961年から発売されていて、毎年このアルバムをコンプリートさせることに、多くのサッカー少年や元少年たちが心を熱くしている。イタリア男ならば誰もが一度ははまったことがあるのではないだろうか? ステッカーは12月から3月まで、そのシーズンのものが発売され、4月には冬のメルカート(移籍市場)を受けて新しい選手のステッカーが追加発売される。ミランの場合は今回、本田と共にセードルフ監督、ラミ、ボネーラ、ターラブトのステッカーが新たに作られた。
このステッカーに本田が登場したことは、あらためて彼がミランの正式な一員、イタリアサッカー界の一員になったことを象徴している。少年たちにも本田のステッカーが出たことを、ぜひとも喜んでもらいたいものだ。

ステーファノ・メレガリ(『Forza Milan!』編集長)●文 text by Stefano Melegari
利根川 晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko
(webスポルティーバ 4月3日(木)11時54分)

堕ちていてもやはり名門。
時間がかかってもやはり本田は本田・・・ってことか。